の方を見向きもしなかった。
 記代子には信じられないことであった。
「エンジェル! エンジェル!」
 たった二、三間の距離である。たった一声で、ノドがつぶれてしまいそうな、この叫びがきこえない筈はない。しかしエンゼルはふりむいて、姿は見えなくなってしまった。
 エンゼルは、わざと聞えないフリをしてみせたが、身仕度して、きっと迎えにきてくれると思った。十分間も窓からのぞいていたが、次に窓から見たのは子分の顔であった。彼は記代子を睨みつけた。
 記代子は気を失ったように、ふらふらと崩れこんでしまった。

       六

 外から心ばり棒を外す音に、記代子はハッとして飛び起きた。やっぱりエンゼルが迎えにきたと思ったのである。
 しかし、姿を現わしたのは、二人の子分であった。一人は彼女の前へお握りを入れた皿と一杯の水を置いて、
「バカ。ウチが割れるような大声をだしやがる。二度とあんな声をだしやがると、腰の抜けるほど、なぐりづけるから、そう思え」
 一人は窓をしめて、
「まったく、頭の悪い女さ」
 そうつぶやいて、又、心ばり棒をかけて立ち去った。
 日がくれると、多くの跫音がドヤドヤと入りみだれて玄関へあつまるようである。
「兄貴、行ってらッしゃい。行ってらッしゃいまし」
 と口々にのべる言葉がきこえるので、エンゼルのでかけるのが分った。
 記代子は、すべてを諦めかけていたが、その気配をきくと、突然とび起きて、夢中で戸を叩いていた。
「エンジェル! エンジェル! 記代子は、ここよ! エンジェル!」
 叩く手をとめて、耳をすましてみると、エンゼルはもう立ち去ったらしい。部屋へ戻るらしい子分の跫音が消えてしまうと、あとは物音がなくなってしまった。
 疲れきってウトウトしかけると、数名の男たちがフトンをかかえて現れた。彼らがフトンをしき終ると、一人が記代子をだきすくめた。
「兄貴は一週間ほど御旅行だ。可愛いい女が待ちこがれているからな。三四人は廻ってやらなきゃならないから、兄貴も忙しいやな。お前はオレたちにお下げ渡しだから、当分みんなで可愛がってやるぜ」
 記代子はわけがのみこめなかったのでボンヤリしていた。すると男の手が彼女の衣服をぬがせようとしているのに気がついて、おどろいて、もがいた。すると、数名の男たちにおさえつけられて、もはやどうすることもできなかった。
 夜更けに、
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