的をおき、そして病気はなるがままにまかせようと結論はだしていた。深く考えれば、自分のことは何も分らないばかりである。
「ヤ。これは、これは」
エンゼルは大そう恐縮そうに十万円を受取った。わざと一枚ずつバカ丁寧に算えて、
「たしかに拝借いたしました」
金を手にしているエンゼルは銀行員のように律儀な物腰に見えた。
すると記代子は、放二から借金するエンゼルを見るのがつらいらしく、
「北川さん。あなた、もう、帰って下さい。私たちには、いろいろ用が多いの。毎日毎日が忙しいのよ。あなたと、ゆっくりお話しているヒマなんてないのよ。今日だって、ムリして、お待ちしてあげたんです」
放二は立って、
「お邪魔いたしました。では、失礼いたします」
「ヤ。そうですか」
エンゼルはひきとめなかった。記代子は一そう威丈高になって、
「北川さん。私はもうあなたにはお目にかかりません。私に挨拶したいなんて、変なこと仰有らないで。そして、もう、二度とここへいらッしゃらない方がいいわ」
睨みつけて、さッさと立ち去った。
三方損
一
エンゼルは京都の長平を訪問した。
せつ子からも、放二からも、まだ報告がなかったので、記代子のその後のことが長平には分らなかった。せつ子が荒っぽい処置をしたので、エンゼルが文句を言いにきたのか、などと考えた。エンゼルという男には興味をもっていたので、書斎へ通した。
「たいへん閑静なお住いですな。京都には、こんな住宅が多いようで、土地風というのでしょうな。東京でこの閑静をつくるには、庭を五十倍にしなければなりません。猫額大にして山中の如し」
ニコニコしている顔に厭味がない。ちょッと古風なことを言ってみせる芸当など、芸界の生意気ざかりのアンチャンが、こうしたものである。
「君は立派な屋敷をもっているそうだが、屋敷もちは京見物の心得が違うようだね。人の住居が気になるかね」
「いろいろと見聞をひろめ、後日の参考に致そうと思っております。人間、焼跡のバラックでは、恒心がそなわりません。ぼくのバラックでは、庭が花園になっていますが、これは職業上の畑でして、家と職業は分離しなければ、家の落付きはありません。隠居家ということを申しますが、隠居家こそは家の建築の正常な在り方である、これがぼくの意見なのです。なぜかと申しますと、万人が家庭において
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