い。ないわけだ。全部、白紙であった。元旦すらも。
三
しばらく笑いがとまらなかった。放二は再び日記帳を本棚へ押しこんで、ヒタイやクビ筋の脂汗をふいた。
「これで一応さがしたわけだが」
ほかに捜す場所はなさそうだ。手紙の束をしまうついでにヒキダシをかきまわしてみると、ガラクタにまじってマッチ箱がタクサンあった。
「タバコを吸うのかしら?」
ふだん吸ってるのを見たことはない。しかし机の上に小さなピンク色の灰皿があった。マッチ箱は軸がつまっていて、ほとんど新品だ。三ツ四ツ例外はあるが、大部分が同じ店のマッチであった。
「ノクタンビュール」
たしか青木前夫人の働いているバーである。店の名だけはきいていたが、彼はそこへ行ったことがなかった。あんまり数が多すぎるのでザッと数えると、二十いくつあった。いつも青木と一しょだから、その店へ行くことがあるのにフシギはない。しかし、ずいぶん通ったものだ。それとも、まとめて貰ってきたのだろうか。放二はマッチ箱を手にとってボンヤリ見つめて考えた。しかし、思いつくことは何もない。
「とにかく、マッチ箱の店へ行った事実はあるのだから」
と、放二はマッチ箱の店名を手帳に書きとった。箱根や伊豆の温泉旅館のマッチが三ツ。彼の知らない銀座のバーが一つであった。箱根、伊豆、そんなところをブラブラしてるんじゃなかろうか。なんとなく、そう考えておきたいような気持であった。
捜し終って、放二は宿の人たちの話をきいた。
「金曜の朝は、いつもの出勤時刻に、おでかけでしたでしょうか」
「ええ、時刻にも態度やその他にも、いつもと違うところはちッともなかったようですよ。朝は忙しいので、特におかまいもしませんでしたけど、御食事中の御様子やなどでも、ね」
「特に親しくしてらした女友だちは?」
「そう。たまにね。遊びにいらした方もあるし、お噂をうかがうこともありましたが……」
主婦が思いだした名は、放二の手帳に控えたものをでなかった。
「別に、それまで、変った様子はなかったのでしょうね」
「いえ。毎日変った様子でしたよ」
主婦は大ゲサに身ぶりした。
「つまりね。金曜の朝はいつもと変りがなかったのですよ。ですけど、そのいつもがね、決して普通じゃないんですよ」
放二が世間知らずに見えるので、主婦はコクメイな話し方をした。そして、言ってよいのか、ど
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