私は感動した。あの女の人が。まるで夢のやうな。酔つ払つたせゐかと思ひ、翌日読み直したが、芭蕉以来絶えてない革命的な「人間」俳句を見出したのであつた。
この作者のあのあさましい淪落の姿を今は別の思ひをこめて思ひだす。まつたくこの作者の現身《うつしみ》は破局に身を沈めてをり、淪落のどん底に落ち、地獄の庭を歩いてゐたに相違ない。この地獄をくゞらなければ人間の傑作は書き得ないのだ。そして私は私自身に言ひきかせる。愚かな男よ、然し、もし、お前が真実の文学を書き得たなら、とみゑさんのやうにお前の愚劣な現身も神によつて許されるであらうと。そして、ともかく、絶望するな、と。
あるとき、牧野信一と中戸川吉二と私は銀座のハチマキ岡田で酒をのんだ。専ら二人が喋つてをり、年の違ふ私は全然沈黙してたゞきいてゐた。馬鹿ゲタ話であつた。競馬の小説が書きたい(中戸川)だの宇野浩二が何とかの旅行のとき一等に乗つて大阪へ降りた、一等なんて柄でない、二等が手頃の身分だなどゝ相槌を打つ奴も大馬鹿野郎だと腹が立つ始末であつたが、そのとき中戸川が急に声を細めて、女房といふものはたゞ淫慾の動物だよ、毎晩幾度も要求されるのでとてもさうは身体がつゞかないよ、すると牧野信一が我が意を得たりとカラ/\と笑ひ、同感だ、うちの女房もさうなんだ、――とみゑさん、ごめんなさい、私はあんたを辱めてゐるのではないのです。どうして私があなたを辱め得ませうか。あなたは病みつかれ、然し、肉慾のかたまりで、遊びがいのちの火であつた。その悲しいいのちを正しい言葉で表した。遊びたはむれる肉体は、あなたのみではありません。あらゆる人間が、あらゆる人間の肉体が、又、魂が、さうなのです。あらゆる人間が遊んでゐます。そしてナマ半可な悟り方だの憎み方だのしてゐます。あなたはいのちを賭けたゞけだ。それにしても、あなたは世界にいくつもないなんと美しい言葉を生みだしたのだらう。
私は創元社の編輯長だつた岡村政司君に会つたとき、「春日」に就て多々弁じて、創元選書へ入れるやうに大いにすゝめた。岡村君も大いに食指を動かした様子であつたが、それから一週間ほど後に岡村君は徴用されてセンバンにすがりつく職工になり、まもなく東京はつぶされ、焼け野原になつてしまつた。
私は然し「ひとりごと」のやうなものは好きではない。私はむかし「薔薇は生きてる」といふ少女の書いた
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