そして、その名跡は子々孫々に語りつたえられるのである。
 たとえば、烏賊虎さんが、そうである。今の烏賊虎さんがヅネエわけではなくて、三代前の先祖が、誰もまだ見たこともない一間ほどの足のある烏賊を釣った。釣りあげることができないので、ついに海中にとびこんで組打ちして仕止めた。
 ヒコさん――三代前は鎌田彦太郎と云ったが――ヒコさんはヅネエ、ということになって、烏賊ヒコ、その時以来、鎌田家は、烏賊ノブ、烏賊タツ、烏賊虎と伝承し、虎さんの長男、鎌田吉五郎はやがて烏賊キチとよばれるようになるはずである。
 タイ釣りの名人を先祖にもつ瀬戸家は代々タイ七とかタイ平などゝよばれ、マグロ久やクジラ市やサメ六の先祖はそれぞれこれらの巨大な魚獣を相手に栄光かがやく戦績を残しているわけだ。アジ文、野口文之助は現役で、つまりアジ家を起した初代であり、不漁になやむ晩夏、ヤケ半分にイワシを探して大島方面を回航するうちに、時ならぬアジの大群を発見した。彼は若い者に後事を托してアジを追わせる一方、自らはザンブと海中にとびこみ、約一里の海を泳いで今井の浜にあがり、天城山麓をヒタ走りに走って、急を伊東海岸につたえた。伊東
前へ 次へ
全49ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング