びこんで死んだ。
肝臓先生に遺書一首。
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おみなごの身にしあれば怒りに果てむ
肝臓先生は負けたまはず
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その遺作に山吹の花が添えてあった。花は咲けども実のらぬ悲しさを伝えたものであろうか。それをいだいて、先生は慟哭した。
折しも女将の葬儀がこれから始まるという時であったのである。常の日ならば、この町に稀な盛葬であるべきものを、彼女の慈愛をうけた多くの人々は、あるいは戦地に、あるいは工場に去り、軍を恨んで身を果てた女傑の最後を葬う人は少かった。
ボロシャツ一枚、水にぬれて駈けこんできた女があった。遠く沖にかすむ小島から、先生の往診をもとめて小舟を漕いできた娘であった。彼女の父が病んでいるのだ。すでに数日食物をとらず、全身黄色にそまり、痩せはてて明日をも知らぬ有様であるという。
先生は嗟嘆した。
この淋しい葬儀よ。一人かけても、せつないではないか。しかし孤島からはるばるとヒタ漕ぎに漕いで来たであろう娘を待たせ、孤島に肝臓を病んで医者を待つ病人を待たせ、どうして、ここに止まり得ようか。
「どうしてズブ濡れに濡れたのかね」
「ハイ、敵機が見えるたびに、海にとびこんで隠れていました」
その日は艦載機が、しきりにバクゲキをくりかえしていた。空襲警報が間断なく発令されていたのである。
「よし。わかった。すぐ行ってあげるよ」
娘の肩に手をかけて、こう優しく慰めると、先生は棺の前に端坐して、冥目合掌し、
「島に病人が待っています。行ってやらなければなりません。あなただけは、それを喜んで下さるでしょう。肝臓医者は負けじ」
深く深く一礼を残すと、あとはイダテン走りであった。病院へ駈けつけると薬をつめたカバンをとり、私をしたがえて、一散に海へ。
三人は小舟に乗った。私は櫂をにぎった。海上で、かなた陸上の空襲のサイレンをきく。それは淋しく、怖ろしいものである。見渡す海に、一艘の舟とてもない。浜に立つ人影もない。
風よ。浪よ。舟をはこべ。島よ。近づけ。
先生は舟中で娘の掌をきつく握って、手の色をみた。それは先生が肝臓疾患の有無をしらべる時の最初の方法なのである。
「やっぱり、あなたもあるようだ。どれ」
もはや、先生は肝臓の鬼だ。慈愛の目が、きびしい究理の目に変っている。
先生は肝臓に手をあて、強く押して診察した。
「
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