対して怒ってはならない。ただ汝の信ずるところを正しく行えば足りるのである。
 先生は二人の医者に気まずい思いをさせては気の毒なので、ソッと跫音《あしおと》を殺して、姿を消した。
 しかし、あらゆる患者がみんな肝臓を犯されていることは、先生の診察室では動かしがたい事実となっていた。東京の友人や先輩から、先生に宛てた紹介状をもたせて患者を送ってくることがあった。それは、ほかの病気の患者であったが、しらべてみると、例外なく肝臓炎もあるのである。この事実は先生を困惑させ、思わず、こまった、こまった、と心に叫ばしめるのであった。
 そこで先生は仕方なく、
「肝臓も悪いですね」
 と何気なく言おうとしても、どうしても「も」にこだわって、妙に力がこもってしまうのだった。それからの先生は、患者を診るたびに「も」の一語と闘い、自責の苦痛と闘わねばならなかった。すべての患者が肝臓炎でもあること、この動かしがたい事実に、なぜ気おくれするのであろうか。先生はフガイなきことにも懊悩した。
 その時に当って、先生に大きな勇気を与えてくれる出来事が起ったのである。
 昭和十五年、十二月二十日であった。例年のこの日は、恩師の大先生の謝恩会が門下生によって催される日であった。先生のすむ伊東は、汽車も通らぬヘンピなところで、この地へ開業以来、十二年間も謝恩会には御無沙汰していたが、どうやら汽車も開通するようになったので、でかけたのである。
 盛大な謝恩会だ。恩師の大先生をかこんで三百名の門下生があつまっている。天下に知名の学者から医局の若い学者まで、一門の精鋭をすぐった晴れの席、一門の威風は堂々と場にみち、東海の辺地に足の医者をもって自ら任じる先生は、うれしいやら、心細いやら、同門の威風にすくむ思いであった。
 会がはじまると、指名をうけた人々の挨拶があったが、絶えて久しい出席のために、先生も指名をうけて、挨拶しなければならなかった。
「頼朝が流され日蓮が流された離れ小島のようなこの町にも、戦争以来、温泉療養所ができまして、あたかも当物療科の延長の感があり、そこの諸先生方と親しくしていただきまして、まるで医局にいるような気分にひたり、心からうれしい日夜をすごさせていただいております。孤島のようなところに開業しておりましたので、謝恩会にもいつも欠席しておりましたが、温泉療養所の先生方のおかげで医局のなつ
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