を犯しつつあり、赤城風雨先生の診療室に戸をたたく患者のすべての肝臓を腫れあがらせているほどの暴威をふるうに至っているのだ。
 先生はこれを流行性肝臓炎と命名して患者に説明したが、町の人たちにはオーダンカゼと言ってきかせるのが一番わかりやすいことを発見した。
 その時以来、先生は寝食をなげうって流行性肝臓炎の臨床的研究に没頭した。そして数種の手当を工夫したが、患者はそれによって急速に肝臓の痛みがとれるので、これをきき伝えて訪れる肝臓病者が激増し、呼吸器病者はにわかに影をひそめてしまった。
 しかし先生の憂うるところは、自らの肝臓病たることを自覚する人々ではなかった。今や自覚することなく、大半の日本人が流行性肝臓炎に犯されているのである。いかにしてこれを知らしめ、正しい治療を与えてやるべきや。先生はあせりにあせった。
 それは昭和十四年、お正月、某家に於けるお茶の会の出来事だ。
 余興に福引があった。と、一人の娘がひきあてたクジが「赤城風雨先生」というのである。先生が驚いたのもムリはないが、一座の人々も目をみはり、そも何物が当るかとカタズをのんだのも当然だ。読みあげられた答えは四文字。曰く「肝臓先生」。
 その景品は牛肉のヤマト煮のカンヅメ。これを象のひく四ツ車にのせ、長いヒモがつけてあって、ひっぱる仕掛けになっている。
 司会者が立上って、
「さて、この景品には一つの約束がついております。まずクジをお当てになったお方がヤマト煮のカンヅメを赤城先生のオツムに乗せてさしあげます。赤城先生はオツムのカンヅメを落さずに、象をひいて、三べん座を廻っていただかねばなりません」
 クジを当てた娘は、美しくて、しとやかで、この町で評判のお嬢さんであった。事の意外に驚いたのは赤城先生とお嬢さんだが、一座の人々はヤンヤ、ヤンヤと大よろこび、大カッサイ。
 お嬢さんも仕方がない。意を決して、カンヅメを赤城先生の頭にのっけてあげる。サラバと先生も立上ろうとしたが、カンヅメが落っこちそうでグアイがわるいから、かるく手でおさえ、象をひッぱって静々と三度廻った。拍手カッサイ、鳴りもやまず。
 記念すべき一日であった。
 まことにウカツ千万な話だ。赤城先生はこの日に至って、自分が町の人々に「肝臓医者」とよばれていることを、はじめて知ったのである。
 先生は感慨無量であった。
 先生と肝臓炎との出会は
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