とムラムラと誤診するから、湯殿の裏で湯加減の調節でもしてるんだな」
さて狂六が、目下大問題の重大なことを口走ったのは、この次の言葉であった。
「しかし、ねえ。前山一作氏の目の黒いうちはコンリンザイ別荘を貸してくれないからね。早く死んでくれねえかなア。すると、ほかに余得もあるからな。花子夫人はまさに絶世の美人だからね。ヘッヘ。両先生、変な顔をしますねえ。知ッてるよう、君。彼女に惚れてるのはオレ一人じゃないからね。両先生の老いたる胸に熔岩がドロドロと燃えただれているね。ツラツラ観じ来たれば医者の先生も、剣術の先生も、実に悲しき人間ですよ。しかも、オレよりも貧乏にやつれ、金につかれ、女につかれているのだからね。年ガイもなくさ。医者の先生が前山氏に一服もり、剣術の先生が夜中に前山氏を一刀両断にしても、オレは憎めないよ。むしろ、その人を愛するな」
聞き手が両先生だけならよかったのだが、その席に前山一作氏の長男光一というヤクザな青年がいたのである。光一は花子さんの子供ではない。花子さんは後妻だ。まだ二十八である。光一のたった三ツ年長である。
光一はカリエスでギプスをはめているくせに、拳闘のグローブを買ってきて立廻りの稽古にうちこんだり、にわかに思いたって、絵やフランス語の勉強をはじめる等々全然シリメツレツの青年であった。
しかし、いかにシリメツレツでも前山一作なる人物は彼の父である。その一作氏に一服もり一刀両断にしてやりたいとは、根が軽率な狂六にしてもひどすぎる言葉であるが、次なる言葉をきいてみれば、さてはそうか、とうなずける理由はあったのである。
「ヘヘエ、光一クン、知ってるぜ。花子夫人を狙っているのは、これなる三先生だけじゃないからね。未亡人もオヤジの遺産のうちだから、相続してもフシギじゃないと思いこんでるらしいじゃないか」
「むろん先生の御説には賛成です。彼女は稀なる美女ですよ。オヤジにはモッタイないな。かつ、また、甚だしく色ッぽい女性ですね。しかも彼女は自己の多情なることを自覚していないです」
女性に関してはスレッカラシの審美家であった。彼は老いたる友人たちを裏切る意志はなかったが、ただ真実を伝える意味に於て(つまりその真実が彼のお気に召していたせいでもあるが)妹のマリ子のみならず、当の花子夫人に向って、三先生の言説をチク一報告に及んだのである。
「ハッハッハ。面白かったです。結局、狂六先生が、最も純情の如くで、最もずるいですね。自分がどうするということを言わずに、並木先生が一服もり、玄斎先生が夜更けに一刀両断にしたら、と云ったのです」
これだけで済めばよかったのだが、それから間もなく一作氏が原因不明の病気になってフラフラと床についてしまった。そこで貞女花子夫人が立腹して、並木先生の立入り禁止を発令し、よそから医者をよんだのだ。
この報告がてら、光一は三先生を訪れて、真実を伝える喜びに於て、事のテンマツをチク一打ち開けて語った。そして、三先生を慰める意味に於てか、真実を伝える喜びに於てか、次のように話を結んだ。
「要するに、彼女は今のところは貞女です。貞女そのものですね。自己の本態についてはあくまで無自覚ですからね。要するに、それだけですよ。これからがタノシミだと仰有《おっしゃ》るのですか。ハッハ。イヤなお方だ」
ヤブヘビの巻
並木先生が前山家の出入り禁止をうけることは、一軒のオトクイを失うという意味だけでは済まないのである。
並木病院の建物は前山家のものだ。前山家の先代はゼンソクその他の持病に難渋していたために、並木先生に学資をだして医学校を卒業させ、別荘の隣に病院を建てて与えたのである。だから前山家の出入り禁止をうけると、彼の医者としての信用も、人間としての信用も根こそぎ失われるばかりでなく、医者の看板も住む家も失わなければならなくなる怖れがあった。
そこで並木先生はただちに三先生会談を召集したのであるが、この事件は他の二先生にとっても好ましからぬ意味があったのである。なぜなら、剣術の先生も彫刻の先生も、前山家の邸内に起居していた。というのは、前山家の先代はゼンソク退治のために剣術修業を志し、別荘内に道場を造って、そこに神蔭流の達人玄斎先生を居住せしめたからだ。講談本を読むと平手酒造《ひらてみき》が肺病患者であったような話はあるが、ゼンソク持ちの剣術使いの話はでてこない。してみると剣術がゼンソクにきくかも知れんというので思い立ったという話であった。
また、一作氏は幼少からビッコで、病弱で激務につけないから、お金もうけはもっぱら先代にまかせて、自分は風流の道にいそしんでいた。そのために、小学校中学校と同級生であった狂六先生を呼びよせて別荘内にアトリエを造ってやった。
この戦争で前山家の本邸は
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