運は甚大であるに相違ない。それからそれへ聞き伝えて押すな押すなの大繁昌であろうという考えであった。これをきいて、たちどころに一笑に付したのは狂六だった。
「温泉へ入院にくるヒマ人はいないよ。第一アンタがそういう考えを起したのは、ちかごろアンタの評判がわるくて患者がこなくなったせいじゃないか。目先の変った新趣向の旅館をひらいてお金をもうけたい一念じゃないか。しかるに、世のため人のためと云いたがる料簡がチャンチャラおかしいのさ。そんな料簡でいくら趣向をこらしたって、お金もうけができますか。オレだってお金が欲しくて仕様がないのだから、本当にもうかる話ならすぐ飛びつくけどね。別荘をかりて旅館にしたけりゃ、普通の旅館で結構じゃないか。なんのためにその来館へアンタというヤブ医者が現れてお客を診察する必要があるのさ。まるッきりブチコワシじゃないか。幽霊かなんかが現れる方が、アンタが現れるよりも気がきいてるよ。しかし、なんだね。アンタが現れるのはまずいけれども、玄斎先生が現れるのは趣向かも知れないよ」
狂六はこう云ったとき、自分の思いつきの素晴しいのに、思わず膝を叩いたのである。彼は上気して叫んだ。
「そうだ。三人で旅館をやろうじゃないか。玄斎先生がその端然たる姿で玄関に敬々《うやうや》しくお客を迎えて静々と畳に額をすりつけてヘイいらッしゃいましとやったら、すごいねえ。番頭と云っちゃア気の毒だが、この番頭の風格。旅は気分の問題だからね。番頭で悪ければ、酒場には雇われマダムというのがあるから、雇われマスターでいいや。玄斎先生、七十になるそうだけど、老来益々色ッぽくなってきたよ。数年前から十六七のチゴサンの色気がにじみでてきたと思うんですがねえ。ここが剣術の玄妙なところかも知れないね。若年の時からのシシたる剣の苦労が、老年に至ると若侍の色気になってよみがえッてくるらしいな。若い娘にもてると思うよ。ひょッとすると十七八の女学生の恋人ができるかも知れないね。どうも、そういう予感がするよ」
狂六はふざけているのではないのである。彼は生れつき軽率に思いこみ、軽率に感動し、軽率に口走るヘキがある。剣術国禁で貧乏のドン底にある玄斎をおだててみたって、鼻血もでやしない。
「ねえ、三人で旅館をやろうよ。オレは駅へでて客ひきでも、なんでもやるよ。並木先生は風呂番でもするんだね。お客の背中を流しにでる
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