り女が見るやうな姿の女で、名前は蕗子とよぶといふ、そのほかのことは全く伊東伴作には判らなかつたのである。
「君、あの女の生活を暫く保証してやつてくれないか?」
雨宮紅庵が改まつて切りだしたことは然ういふことだつた。
「月に三十円か四十円でいいのだ。三畳の間借りで事足りるんだからね。そのうちに女の方でなんとかするだらうよ。僕にその資力があれば自分でさういふことにしたのかも知れないが……」
「つまりあの人を二号にしろと言ふわけか?」
「いや、さういふわけぢやない。女の生活を保証してやつても、必ずしも二号ときまつてゐるわけはないからね。然し二号でもいいのだ。男と女だから話がそこまで進んでも、それは仕方がないぢやないか」
暫く話が途切れたあとで、
「君があの人の生活を保証するやうになつてから、そこは男と女だから、二人の話が自然にそこまで進んだとしても、それはそれでいいぢやないか」
紅庵はここでも故意に言ひ強めるやうな脂つこいくどさを漂はせながら、同じことを重ねて言つた。自分の言葉に酔つたやうな様子でもあり、非常に穿つた親切さうな様子でもあり、幾分勝ち誇つたやうな皮肉さうな様子もあつて、まるで試験台に乗せられてゐるやうな気持がした伊東伴作には、一つ一つの気配がピシ/\とこたへた。すると紅庵は、さういふ伊東伴作の内兜《うちかぶと》を見透したやうな穿つた調子で再び言葉をつぎたし、
「一人くらゐ隠し女を持たなかつたら、一人前の男ぢやないよ」
と、いかにもしみ/″\した顔付で言つたのが、伊東伴作の気にさはつたが、じり/\した気持を起しながらも、伴作の心の流れは紅庵の言葉の魅力に自づと傾きだしてゐた。伴作はさういふ心のまとまりのない廻転に正直に身をまかせ、暫く沈黙に耽つてゐたが、
「ほんとに君はあの女に気がないのかな」
と、紅庵を冷やかすやうに笑つて言つた。笑つて言ひはしたが、伊東伴作の言葉の奥には甚だ真剣な激しいものが漲りかけてゐて、あれだけの女なら二号にしても悪くはないなと立派な計算が完了されてしまつてゐた。
それにしても、恋愛といふ面倒な言葉はとにかくとして、あれだけの女なら大概の男が浮気心を起すのは恐らく普通のことだらうから、あの女に気がないと言ふ紅庵は論ずるまでもなく嘘をついてゐるのだと思つた。けれども伊東伴作は紅庵の思惑に気を廻さうとしなかつた。さうすることがただ面倒に思はれたのだ。騙されるなら騙されたで一向に構はない、あれだけの女を三十円や四十円で買へるなら遊びとしても安いもので、要するに騙されてゐるつもりで、こつちもせいぜいあの女を弄べばいいわけだと考へた。伴作は三十五歳だつた。妻子もあつた。
三人は連れだつて外へ出た。歩きだしてから女に向つて、俳優とかダンサアはとにかくとして生活費の方は引受けるから一応宿を定めてみてはと話してみると、女はまるつきり感情を表はさない顔付で、別にうんとは言はなかつたが、否定の素振りをみせないことによつて承諾の気持を表はした。はじめから、どうせ話がそのへんで落付くことに覚悟をきめこんでゐたやうな様子でもあるし、何も知らない痴呆のやうな様子もあつた。白痴ぢやないのかと、伊東伴作は一時本気でさう疑らずにゐられなかつた。
ちやうど貸間ありの札を貼つた二階をみつけ、雨宮紅庵の奔走で手廻りの品だけは忽ちのうちに調《ととの》つてしまひ、出前をとつて夕食を終ると全く夜が落ちてゐた。気をきかしたつもりであらうが、雨宮紅庵は無理にも伴作をそこへ残して、自分は半ば周章てた形で帰つてしまつた。
伊東伴作は蕗子に素性をきいてみたが、紅庵の知人の妹で、今では殆んど身寄りがないと言ふほかには、これも多くを語らなかつた。機会をみて身体に触ると、尠しも逆らはなかつた。罪悪といふ内省が絶えないためか癇癪を起すやうな気分となり、自棄《やけ》じみた荒々しさで無礼なくらゐ露骨に野蛮に蕗子の身体を取扱つても、意志のない人形のやうに自由になつた。その夜更け夢見心持で我が家へ帰つた伊東伴作は、その一夜が白々と明けても、夢見心持から覚めきることができなかつた。全てが実際あつたやうに思はれない気持がつづいてゐた。
翌日の正午頃には、ぢり/\と押へきれない焦燥がつのつてきた。それでも三時頃までは店へでたり又ぶら/\と居間へ戻つて寝ころんでみたりしながら、苛々する時間をつぶしてゐたが、三時の音で立ち上つて蕗子の下宿を訪れた。行つてみると雨宮紅庵がそこにゐて、蕗子と話しこんでゐた。
紅庵は自分の部屋にゐるやうな寛ろぎかたで、すつかり腰を落付けて勿体ぶつて喋つてゐたが、伊東伴作は嫉妬の苦痛を感じなかつた。寛ろいだ話しぶりにも拘らず、その口ぶりにも動作にも紅庵の宿命的な内攻生活から派生する一種陰惨な暗い傷《いた》ましさが漂ふばかりで、蕗子
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