後は留守のうちに紅庵が来たといふ形跡もなかつたやうだし、蕗子の方から紅庵に引越先を教へてやつたならとにかくとして、道に待ち伏せたうへ伴作の後をつけて行先を突きとめたとしか思はれない形跡から考へてみても、前後の様子が曖昧至極になるばかりで、筋道が立たず、腑に落ちないことばかり多いのだつた。騙され方の筋道が通らないので、腹の立ちやうまで煮えきらないやうになつてくるし、さういふ腹の立て方まで癪にさはつてくるのだつた。
すると三日目に、雨宮紅庵がのこ/\現れてきた。
「君が蕗子を隠したのだらう。分つてゐる。なんのための小細工なんだい? 僕のあとをつけてきてアパアトを突きとめたことも分つてゐる」
雨宮紅庵の顔をみると矢つ張りやつてきやがつたといふガッカリしたやうな気持の方が先に立つて、腹の立つことまで薄らいだのだが、とにかく改めて怒りを燃やしながら詰《なじ》つた。
「実はそのことで来たんだよ。びつくりしたらうと思つて、早く君に知らせやうと思つてゐたが、生憎の用で来れなかつた。実は今日もまだ色々と忙しい用があつて……」
紅庵はひどく周章ててしどろもどろの言ひ訳をしたが、腹の底では伊東伴作が本気で怒つてゐないのを見抜いて、案外落付いてゐるやうだつた。
「それに、君も教へてくれないし、あの人も言つてくれないものだから、まさかに君とあの人の関係が二号といふやうなことに進んでゐると思はなかつたので、さう素ばしこい君だとは思はなかつたから、それほど心配もしてゐまいと多寡を括つてゐたのがいけなかつたんだ。それを知つてゐれば一応君にことはつてから引越しも運んだらうし、用向きを蹴飛ばしても早く教へに来た筈なんだ」
紅庵は別に恨みがましい様子でもなく、ただすら/\とさういふ言ひ訳をしたのだが、この言葉は後々まで伊東伴作の頭に残つて離れなかつた。ただ女を養つておくといふだけの男が毎日々々午後三時から深夜まで女の部屋に居浸りといふ莫迦な話もないもので、誰が見ても男の二号であり女の旦那であることは分る筈だ。紅庵が独身者で情痴の世界にうといにしても信じられない話で、殊に紅庵は潜在的な性慾に疲れた人がもつところのその方面には特に鋭い電気のやうな感応と想像力を具へてゐるから、常人よりもよつぽど素早く二人の関係が見抜ける筈だと思はずにゐられなかつた。なるほど紅庵自身の方は女の部屋へ喋りにくるだけで満足することもできるのだから、自分の心境にあてはめて、伊東伴作と蕗子の間もそれくらゐのものと案外軽く見てゐたやうに思はれないこともないが、あの旺盛な感応力があるためにすつかり内攻に疲れてしまつた紅庵の広く深い精神生活を考へてみると、そんな子供騙しのやうな言ひ訳はきかないことで、やつぱり常人以上に素早く二人の肉体の交渉に気付いた筈だと断定せずにゐられなかつた。その紅庵がなんで又白々しく二人の関係に気付かなかつたと言ひだしたのだらう? 生真面目のやうで案外底意地の悪いところもある紅庵だから、神妙に言ひ訳するやうな顔をして実は冷やかし半分の気持が腹の底にあるのかも知れぬが、それはそれとしておいて、このうつかりした言葉の中には紅庵のほんとの気持が隠されてゐるのではあるまいかと伊東伴作は考へた。
つまり雨宮紅庵は惚れた女を連れ出しはしたものの匿《かくま》ふ場所に窮して、安全な隠れ家を探したあげく、伊東伴作に女を一時まかせておくといふ手段のあることを発見した。といふのは、伊東伴作も幾分紅庵に似たところのあるディレッタントで頭の中には過剰すぎる考へごとが渦まいてゐても実行力はないといふ、すくなくとも紅庵の考へでは自分の親類筋の一人のやうに見当をつけた形跡がある。伊東伴作に女の身柄を預けておくぶんには、女の身体が汚されるといふ心配はまづないやうに計算したのではないだらうか? 女を連れてくる早々、男と女のことだから自然に二人の関係が身体のことに進んでみてもやむを得ないことぢやないかと無理なくらゐ言ひ強めたのも、今となつて考へてみると、つまりお前にはさういふことができないのだと多寡をくくつて冷やかしてゐた文句のやうにとれないこともないのであつた。多寡をくくつて冷やかすといふほど露骨なものではないにしても、肉体の交渉をおよそなんでもないことのやうに言ひ強めた心理の底には、逆に肉体の交渉が紅庵にとつては最大の関心事であつたことを示すところのものがあると解釈しても不当のやうには見えなかつた。さういふ風に考へてみると、毎日夜がくるたびに伴作を蕗子の部屋へ残しておいて、自分は甚だ気を利かしたやうな勿体ぶつた様子をしながら、そのくせ案外うろたへ気味で帰つていつた、紅庵の姿を思ひだすと、さういふ姿の半分くらゐが例の通り半ば意識し計算した身構えではあるにしても、計算をはみだしたところにこの男の全悲劇が錯
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