。しかし土間に屋根だけかけた吹きさらしの台所があって、まんなかに穴を掘って火をもやし自在鍋をかけるようにできている。煮物しながら読書する習慣らしく、吹きさらしの中に書棚があって、二百冊ぐらいの書物があった。吹きさらしの中ではあるが、小屋に接した羽目板の際であるから、風雨にうたれて汚れたような跡はなかった。いずれも然るべき値のありそうな書物であったが、山中に泥棒はいないらしく、主人が去って無人のまま一年以上もすぎてから私がこの小屋をかりたとき、本も鍋釜も、布団も蚊帳も、そっくりそのままであった。小屋の中にも、かなりの書物が四隅につまれていた。
彼は小屋を立てるよりも、谷川の水をひいてくるのに苦心したと語っていた。露天風呂があって、そこへ常に谷川の水が流れてくるように上流から林の中を曲りくねってトヨがひかれている。しかし私がかりた時は、無人の年月にトヨが落葉でつまり、又、谷川のとりいれ口のトヨが風雨のために流失しており、用をなさなくなっていた。露天風呂には天水がたまって、蛙が棲んでおり、私は煮炊きの水を谷川まで往復して運ばなければならなかった。これは不便なものである。非常にクモの多いところで、クモの巣を踏みきって谷川に辿りつき、水をくんで戻ってくると、もうクモの巣が修繕されて、往復ともにクモの巣の海を渡っているようなものであった。
彼がこの小屋で何年ぐらい自然生活したのか、私はよく知らないが、山中に自生する動物植物を食って、血気の仙人生活のあげく、生れた子供が骨格軟弱の不具者であったそうで、自然生活というものは人間にとっては健全なものではないらしい。彼はたそがれ時に小屋の附近に現れるモモンガーを弓で落して煮て食っていたそうであるが、私が小屋をかりた時にも、その弓はちゃんと小屋に附属していた。竹でつくった手製の弓である。私はモモンガーは食わなかった。ゲテモノは食えないタチなのである。モモンガーは本来の名はムササビ。猫の四足にコウモリの翼を張ったようなケダモノである。たそがれ時に現れるのはコウモリと同じく、木の枝から枝をとんで食物をあさる習性らしい。
私は二十の年に東京近郊の村落で小学校の先生をした。代用教員である。そこは今では東京都内の賑やかな市街地であるが、当時はまったくの武蔵野。田園と自然林の村落であった。ところが、その村に、山中の自然生活をひきあげてきた彼が住
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