谷に沿うて小径を登りつめると、山径は谷と区別がつかなくなる。道自体が岩であるから、ドシャ降りが山から流れて径を流れ落ち、道だか谷だか分らない。そして、そのうち、まったく、谷になってしまう。やむなく、径の岐路まで戻ってきて、別の一方を登りはじめる。これも道だか谷だか分らなくなって、しまいに谷以外の何物でもなくなる。
すべての道はローマに通じなくとも、里から里へ、いずれは人の居るところへ通じるのが当り前だが、山の径だけは、ダメです。木コリだけの歩く径が主で、どこにも通ぜず、山の奥で自然消滅するのである。どの径を歩いても丸木橋は現れず、径は山中で自然消滅してしまうから、私もようやく、丸木橋が流失したと悟った。しかし、丸木橋のあった場所の対岸に小径があるはずだから、それを探せば山小屋へ行けると気がついたが、この対岸の小径は彼だけの私用の径で、木コリも通らず、一年半も留守にしているから、径の姿を失っていたのである。だんだんタソガレがせまってきた。私の精根はつきた。そして、アッと思った時には、足をふみすべらして、深い谷底へ墜落してしまった。
私は谷底へ落下しながら、アア、いよいよ死ぬのか、なんだ、死ぬ時は、こんな気持なのか、と一瞬のうちに思った。私の頭に閃いたことは、それだけだった。そして、なんでもないもんだナ、と思った。なんでもない筈である。疲労コンパイ。その極に達して、あらゆる力を失ったというアゲクに自然に谷底へ落ちたのである。
ところが、私は死ななかった。それどころか、怪我一つしなかった。十貫目のリュックサックのオカゲである。私は岩の上へ落ッこったが、実はリュックサックの上へ落ッこったような結果になった。落ッこったところから傾斜がはじまり、次に私はその傾斜をゴロンゴロンと、ひどくユックリと谷底までころがって行った。私に少しでも精根があれば、傾斜の途中でいくらでも止ることができたのだが、まったくもう一片の意志も抵抗も浮びあがらないのである。今度こそ死ぬな。なんでもないもんだな、死ぬ時というものは、と私は又思った。そしてゴロンゴロンところがり、最後に再び一丈ほど墜落して、谷川へはまってしまった。
谷の岩と岩の間の深間のところへスッポリ落ちたのである。
又、死ななかった。一尺でも場所が狂うと、私は死んだのであるが、実に巧いところへ落ちたもので、岩と岩の間にリュックサッ
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