今日は、後世にミイラを残す時代ではなく、昔のミイラを現代に多少とも復元しうる時代なのである。科学的方法によって、たかが十種ぐらいの生態を原型にちかく、後世に伝えるだけの研究に時間の不自由はなかった筈である。あったのは、植物博士の怠慢、否、徒《いたずら》に文化、学問の美名を説くのみで、誠意ある研究に不熱心な悪徳あるのみであった。
 私は文化というものを、それが人間の生活を高めることに役立つための根本的なものとして考えているのであるが、尾瀬を開発して日本の生産力を増大させようという政府の企画と、たった十種の植物のためにあたら大面積の高原を自分の不急の研究室に保存しようという植物博士のコンタンと、どっちが文化的であるか、という点については、躊躇なく政府の方を文化的だと判定するものである。他に適当な場所はいくつもあるという説があるが、この狭小な日本の国土で、果して、適当な場所がいくつもあると思っているのであろうか。自分の専門のたった十いくつの植物についての研究も手ぬかりだらけのくせに、専門外のことに、利いた風なことをいうのも滑稽千万であろう。
 金閣寺が消失した、文化財の一大損失だというけれども、私もたいがいの国宝建造物は見てまわったが、金閣寺も、銀閣寺も、法隆寺も、決して美しいというようなものではない。歴史とか、美術史とか、そういうものと馴れ合いの上で、色々とツジツマを合せてから、ようやく一応の歴史的な美を納得することができるという性質のものでしかない。
 歴史的な記念物という意味に於ても、建築的にいつでも原型のまま復元できるだけの資料を後世に伝えることはできる筈である。こういう種類のものは、それが正確でありさえすれば、模型で保存するだけでタクサンだ。その原物を見せる手段すらもはばんでいる法隆寺の坊主などが論外であり、文化の為に戦うなら、こういう坊主と徹底的に戦うのが、専門家の専門家たるネウチなのだが、自ら坊主退治に戦うべき本分を忘れて、人が火事退治をしてくれるべきものという他力本願に依存しているから、日本の美学者だの歴史家などというものは、口に文化の美名を説き、金閣寺焼亡、政府の怠慢、妙なことを口走るが、私はどう考えても、政府の怠慢よりも、学者の怠慢、学者の頭の悪さというものではないかと思う。
 金閣寺は観光日本の一大資源、という意味に於ても、私は過去の遺物が観光客をひく一つの理由となりうることを認めはするが、もっと大切なことはホテルとか道路の建設、観光地帯の積極的な公園化の方がより大切で、観光客向きの遺物としての価値からいっては、金閣寺よりも広島や長崎の原バク記念地の方が、どれくらい国際観光客をひきつけるものであるか知れないと考えている。金閣寺の焼亡をなげくよりも、広島、長崎のバク心地を積極的に保存、公園化する計画を実行した方が、千客万来うけあいの観光計画向きなのである。
 終戦後、国際的な資力と科学を動員して、黄河治水を徹底的に完成する、というような計画があったように記憶するが、中国が内戦となって、それも一朝の夢であったらしい。
 私は法隆寺だの金閣寺にくらべて、早川の洪水が暗褐色の防波堤となって一哩も海中に突入している力感あふるる景観に、比較にならない美を感じているものであるが、さらに大黄河の泥シブキをあげて溢れたつ洪水の凄さに至っては、雄大きわまりないものであろうと考えている。
 しかし、この歴史的な怪物を、ついに五千年の人智の苦闘の後に征服する大施設というものは、これこそ真に文化の記念碑であり、我々の努力は、すべて過去の遺跡の如きものを失っても、かような建設のためにささげられなければならないと考えるものである。文化というものは、過去にもとめるよりも、未来にもとめる建設の方が大切なのである。
 すべて人間の生活の敵なるものを征服して、我々の生活を高め、安定させることをもって、文化の正しい目的と考えなければならない。
 ついに大黄河を征服する設備が完成した時には、それは雄大なる設計に於て万里の長城の比ではない。
 金閣寺の焼亡などというものは、美としても、歴史記念物としても、観光資源としても、識者がそろって泣き言をならべたてるほどの実質的なものは、ほとんど少ししか具っていないものだ。水鳥の羽の音に驚き、飛鳥川の洪水に咏歎をもらすたぐいだろうと思うのである。
 大黄河にも及びもつかないが、利根川の水害をなくし、只見川の発電所をつくるぐらいのことは、文句なしに、とりかかるだけの国民的な見解をもちたいものだと思う。文化というものを、そのような積極的な力として見ることを基礎とした上で、再び悠々と古代へ遊びに赴くべきではないかと思うのである。



底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
   1998(平成10)年10月20日初版第1
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