うと、どうもオックウだ。もう、ちょッと、と、延び延びになっていたが、にわかに書いてみたくなったのである。
なにぶん、新聞小説というものは、営業の方の責任の一半をうけもつことになるから、書く身はつらく、オックウになる。
先日、文藝春秋新社の熱海遠足があり、私は宴会に招待された。そのとき、宴会に侍《はべ》った芸者が、廊下で立話をしている。
「文藝春秋って、あんた、文藝ハルアキのことじゃないの。バカにしてるわ」
「そうなのよ。変に読んで通がってるよ」
と云って、社員どもをバチの半可通にしてしまい、腹を立てていた。察するに、熱海芸者の中には文藝ハルアキ党が多いらしい。
新聞小説の読者というものは、こういう人種が含まれているのだ。おまけに、こうした人種が何よりの浮遊読者で、小説がつまらないと、ほかの新聞に換えたりする。作者のうけもつ営業上の責任は、こうした人種の好みによるところが多いのじゃないかと思われる。文藝ハルアキなどという読者について考えると、新聞小説などはコンリンザイ書くものかとも思うのである。
けれども、それだから、なお書きたいような気持にもなるのだ。この人たちは、文芸批評の
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