ている。私はふと女房がやつれ果てていることに気附いて、眠ることゝ、医者にみてもらうことをすすめても、うなずくだけで、そんな身体で、日中は金の工面にとびまわったりするのであった。そして精魂つき果てた一夜、彼女は私の枕元で、ねむってしまう。すると、彼女の疲れた夢は、ウワゴトの中で、私ではない他の男の名をよんでいるのであった。
私は女房が哀れであった。そんなとき、憎い奴め、という思いが浮かぶことも当然であったが、哀れさに、私は涙を流してもいた。
私は、よい仕事をしたいとは思っているが、聖人になりたいとは思っていない。
女房は私に対して比類なく献身的であるが、それは経済的に従属しているためで、私から独立して、今の程度の生活が営めるなら、私に従属することはないだろう。そして、私よりも堂々と、浮気をするかも知れない。
私は、しかし、そのことを口実にして、私の浮気の弁護をしているワケではない。私は数ヶ月、門外にでず、仕事に没頭する代りには、いったん家をでると、流連、帰るを忘れるような無頼の生活にふけることも多い。そういう時の借金で、数ヶ月門外不出の勤労も、今もって客人用のフトン一枚買うことができなくなってしまうのである。
女房はまだ知らないが、私は子供を生まなかったことによって、女房を祝福しているのである。変な賭はしない方がいいのだ。私のような人間の場合は。私は女や犬の仔を選ぶことはできるが、生れてくる子供を選ぶことはできない。うまく私の気に入る子供が生れてくればよいが、さもないと、女房も子供も不幸になるだけだ。こんな因果物的な賭は、私自身も好んでしたくはないのだ。
恋愛などというものは、タカの知れたものである。夢であり、さめる性質のものでもある。私は元来物質主義者だ。精神などというものも、物質に換算できる限り、換算して精算した方が、各人に便利でもあり、清潔でもあるし、幸福でもあると考えている。クサレ縁などというものは好まない。クサレ縁を人情で合理化しようというような妖怪じみた頭脳の体操は好まないのである。
男女関係は別してそうだ。夫婦でも、子供でも、義理人情クサレ縁よりは物質に換算した方が清潔で各人に幸福なのだと思っている。私は女房と離別することに躊躇はしない。このことは、女房に子供が生れたところで変りはない。私は子供の養育費と、女房の生活費に換算して支払う。税務
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