吉に見学もさせたい。
「よろしかろう。拙者もついでに江戸へでて一服いたすことにしよう」
「大先生まで。ヤ、これは、ありがたい」
御家人の悪太郎ども、大いによろこんだ。諸方にゲキをとばし無心を吹っかけ、金をあつめて、江戸木挽町と赤坂の二ヵ所に道場をつくった。そして、法神と房吉をまねいたのである。
★
二人が江戸へでてみると、まことに立派な道場だが「天下無敵法神流」という大そうな看板がでているから、さすが物におどろかぬ山男も辟易して、
「天下無敵は余計物だ。とりなさい」
「その儀ばかりは相成り申さぬ。天下の旗本が習う剣術だから、天下無敵。この江戸に限ってただの法神流では旗本の顔がつぶれるから、まげて我慢ねがいたい」
大ザッパな山男のことだから、こういわれると、こだわらない。なるほど江戸はそういうところかと至極アッサリ呑みこんでしまった。
御家人の悪太郎ども、この大看板をかかげておいて尾ヒレをつけて吹聴したから、腕に覚えの連中が腹をたてた。毎日のように五人十人と他流試合につめかける。相手になる房吉は、事情を知らないから、さすがに江戸の剣客は研究熱心、勉強のハリアイがあると大いに喜んで、毎日せっせとぶん殴っては追い返す。
むかし、宮本武蔵は松平出雲守に招かれ、その家中随一の使い手と立合ったことがあった。松平出雲は彼自身柳生流の使い手だったから、その家中には、武芸者が多かったし、また剣の苦手は何かということを彼自身よく心得ていた。彼は武蔵の相手として、棒の使い手を選んだのである。
棒、もしくは杖というものは甚だしく有利な武器なのである。これは実際にその術の妙を目にしないとその怖るべき性質が充分には呑みこめない性質のものであるが、棒はその両端がいずれも相手を倒す武器であり、いずれが前、いずれが後という区別がない。いずれからともなく現われて打ちかかり、一点を見つめていると逆の一点が思わぬところから襲いかかってくるのである。打つばかりでなく、突いてくる、払ってくる、次にどの方向からどこを目がけて飛びだしてくるか見当がつきかねるという難物で、これを相手とする者は敵が百本の手に百本の棒をふりまわしているような錯覚を感じる。武蔵も夢想権之助の棒には手を焼き、一般にこれを相打ちと称されているが、実際には武蔵が一生に一度の負けをとっている事実があるのだ。
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