した。実に見事にとびこしたのだが、運のない時には仕方がない。とびこした竹矢来の外側が深田であった。すっぽりはまって進退の自由を失った。そこへ屋上から鉄砲の狙い射ち。一弾を股にうけ、益々進退の自由を失ったところを足軽組の竹槍なぞでメッタ突きに突き殺されてしまったのである。深田にはまらなければ、鉄砲の射程外へ逃れて存分に一泡ふかせ、あるいは房吉の勝利となったかも知れない。惜しむべき失敗であった。時に房吉四十二である。
 山崎らは房吉の屍体を片品川に投げこみ、何食わぬ顔、酒宴に興じていたが、藩の役人には手をまわしておいたから、案ずることもない。房吉の舅が訴えを起したけれども、藩の裁判では敗訴になった。
 そこで江戸の奉行所に出訴し、再審の結果は山崎ら一味全員の有罪と決したが、山崎は肩の傷が元ですでに牢死していたから死罪に及ばず、伊之吉その他大多数が死罪となって落着した。
 この事件は江戸で大評判となったが、そのとき改めて話題となったのは房吉の剣の強さということだ。死んだ房吉の味方となって江戸の再審に尽力を惜しまなかったのは御家人の悪たれどもであったが、彼らは房吉の非業の死をいたむよりも、
「あの鬼神も、人間だった」
 というおどろきの方が大きかったそうだ。
「なんしろ、お前、キンタマを小さくちぢめて腹の中へおさめてから、おもむろに立ち合いができたてえ人物だからな。竹矢来に手をかけたとたんに物の見事に五、六間も外の方へ跳びこしていたてえのだが、そこが深田とは因果の話じゃないか。しかし、なんだな。めっぽう強すぎても風情がない。房吉も斬り殺されて花を添えたというものだ。石に花を咲かせたな。ヤ、これもまた近来の佳話だわさ」
 伴五郎らはこんなことをいって手向けの酒をのんだが、房吉の剣をなつかしみ、死をいたんで、角の師匠にたのみ、意気な流行歌に仕立ててもらって唄った。そしてこれが当時八百八町に大流行したということである。



底本:「坂口安吾全集 15」筑摩書房
   1999(平成11)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「週刊朝日別冊 第三号」
   1954(昭和29)年8月10日発行
初出:「週刊朝日別冊 第三号」
   1954(昭和29)年8月10日発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2006年9月22日作成
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