をたたかわしたが、敵する者が一人もなかったので、はじめて定住の気持を起した。そして山中尚武の地、上野を選んで住んだ。上州に土着しての名を、藤井右門太という。天保元年、勢多郡で死んだが、年百六十八という。多分に伝説的で、神話化されているけれども、天保といえば古い昔のことではない。墓もあれば門弟もあり、その実在は確かなのである。
法神の高弟を三吉と称する。深山村の房吉、箱田村の与吉、南室村の寿吉である。これに樫山村の歌之助を加えて四天王という。この中で房吉がずぬけて強かった。
房吉は深山村の医者の次男坊であったが、小さい時に山中で大きな山犬に襲われた。犬の勢いが鋭いので、逃げることができないが、手に武器がない。犬の身体は柔軟でよく回るから、素手で組みつくと、どう組み伏せても噛みつかれて勝味がない。小さいながらも房吉はとッさに思案した。敵のお株を奪うに限ると考えて、やにわに犬のノド笛にかみついたのである。そして犬のノドを食い破って殺してしまった。血だらけで戻ったから家人がおどろいて、
「どうしたのだ」
「これこれで、犬を噛み殺してきました」
「ケガはないのか」
「さア、どうでしょうか」
身体の血を洗い落してみると、どこにもケガをしていなかった。祖父の治右衛門は法神の指折りの門下であったから、孫の剛胆沈着なのに舌をまき、剣を仕込むことにした。上達が早くて自分では間に合わなくなったから、法神に託したのである。
この房吉、ただの腕白小僧と趣きがちがって、絵や文学を好み、それぞれ師について学ぶところがあり、若年のうちから高風があった。しかも剣の鋭いことは話の外で、彼の剣には目にもとまらぬ速度があった。師の法神は房吉の剣を評して、
「彼は白刃の下、一寸の距離をはかって身をかわす沈着と動きがある。これはツバメが生まれながらに空中に身をかわす術を心得ているように天性のものだ。凡人が学んでできることではない」
といっていた。しかし彼には天分があったばかりでなく、人の何倍という稽古熱心の性分があった。免許皆伝をうけて後も怠ることなく、師の法神が諸国の山中にこもって剣技を自得した苦心にならい、霊山久呂保山にこもってまる三年、千日の苦行をつんだ。苦行をおえて戻った時に、彼の筋肉は師の法神のそれと同じくあらゆる部分が力に応じて随意に動くようになっていた。つまりどこにも不随意筋というもの
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