て肉親的に不感症で、家のためには子供の一人や二人煮られようと焼かれようとと本能的なつめたさを持つてゐるものなのである。家名のためだなどと云つて我が子を冷酷に追ひだしたり、中には肺病の子供を家名のために早く死んでくれと願つたりする、さういふ冷酷な特異性がもはや特に鋭く訴へてこないほど我々の身辺には家名の虫のつめたさが横溢してゐるのだ。その御当人が自分のつめたさに気附かずに、甘つたるい家庭小説か何かに涙を流してゐるのだから笑はせる。人は涙といふものを何かマジメに考へがちだが、笑ひの裏と表にすぎないので、笑ひが単なる風とその音にすぎなければ、涙などは愚かしい水にすぎない。妙に深刻に思はれるだけむしろバカげたものである。
 家康も保守家であつた。そして彼は子供だの孫だのの二人三人はどうならうと平気の平左の人であつた。律義者で、温和な考への人だ。そして、自分に致命傷の危険がなければ人が何をしようと、どんなに威張らうと、朝鮮へ遠征しようと、親類の小田原を亡ぼさうと、我関せずでゐる人だ。時世時節なら何事も仕方がないといふ考へで、秀吉の幕下に参じて関白太閤などと拝賀することぐらゐ蠅が頭にとまつたほどにしか考へてゐない。
 このままいつ死んでもそれでよし、さういふ肚の非常にハッキリした家康で、さういふ太々《ふてぶて》しい処世の骨があつたから、野心家のやうにあくせくしないが、底の知れないやうなところがある。それで古狸などと思はれるが、根は律儀で、ただいつ死んでもいいといふ度胸の生みだした怪物的な影がにじんでゐるだけである。
 いつ死んでもいいといふ最後の度胸はすわつてゐたが、平常の家康はお人好しで、小心な男であつた。彼は五十ぐらゐの年配になつても、まだ、たとへば近臣が何かの変事を告げ知らせると、忽ち顔色青ざめて暫く物が言へなくなるたちであつたといふ。秀吉の死後、三成一派が家康を夜襲するといふ噂の時にも彼は顔色を変へてしまつたといふことで、いい年配になつてもさういふ素直な人だ。素直といふ意味は、たとへば我々のやうな凡人でも、四十五十になれば事に処して顔色を変へないぐらゐの稽古はできる。我々は内心ビクついてをりながら顔色だけはゴマかすぐらゐの習練はできるのである。それは形の上の習練で内容的には一向に習練されてはゐないのだが、家康といふ人は、つまりさういふ虚勢の、上ッ面だけのお上手が下手であ
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