と書いて持ちこんだところで、メッタに買い手が有りやしない。それを心得ているから、先生は売りこみにムリなアガキをしないだけだが、それをアキ子はカイ性なしの敗残者だと云うのであった。
 アキ子も自分の持ち物を売って金にした。然しそれは一家の生計のためではなしに、自分の遊び歩きのためで、二人の子供にミカンやアメダマを買ってやることすらも、稀れにしかなかった。
 先生は大学生を咒《のろ》った。先生は栄養失調の気味であったが、教室で見る大学生はみんなマルマルとして血色がよく、年中タバコをすっていた。先生は一ヶ月の何日もタバコに有りついていないのだ。
 先生の青春は貧困であった。あのころの人々は概ね青春は貧困なものであった。物は有ったが、買う金がなかったからだ。大学を卒業しても、大方は就職の口がなく、要するに高等浮浪児であり、浮浪児なみにナリフリかまわず横行カッポできないだけ、惨澹たる経営に浮身をやつしたものであった。
 今の大学生は働く意志があって働けないなどゝいうことに就ては考えてもみることも知らないのである。昔の大学生は家庭教師をしたり、新聞配達をしたり、大いに深刻に労働して零細な学資をかせ
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