な飲み屋の女中と別府へ心中にでかけて、ぼんやり帰つて来たりなどした愛すべき人物である。年は四十五歳。僕の眼鏡によつて、この人物を碁会所の席主といふ形にした。
 上田食堂の老夫婦は単純な好人物で忽ち人にだまされ易く、碁会所の番人を置くにしても、関さんが最適と睨んだのである。この眼鏡に狂ひはなかつた。関さん以外の人だつたら、きつともつれたに相違ない色々の事情が後々起きたのである。
 僕が宣伝ビラを書いた。
 とりあへず食堂のお客を動員して、十名ほど会員ができた。会員の顔ぶれは、祇園乙部見番のおつさん杉本さん。別荘の番人山口さん。京阪電車の運転手宇佐美さん。もと巡査の狭間さん。友禅の板場職人高野さん。等々。いづれも自分の店のやうな肩の入れ方で、お客や来たれと待ち構へたが、力量一頭地を抜いてゐるのが斯く云ふ僕で、席主の関さんが僕に六目といふ手合だから、なさけない。
 開店怱々道場破りが現れては一代の不面目と、Mといふ初段を頼んで、毎日来てもらうことにした。ところが、この初段、負けると深刻な負け惜しみを言ふので、ききづらい。
 常連一同忽ち総会をひらいて、稽古を断ることにした。あとに残つた弱勢では、然し、お客の相手がつとまらない。毎日ひつぱり出されて大いに悩むのが、僕である。ところが奇妙な風説が立つて、忽ちお客が減りだした。

      (二)[#「(二)」は縦中横]

 食堂の親爺は僕のことを先生とよぶ。この親爺人の姓名を記憶する能力が先天的に不足してゐて、お客の名前を年中とんちんかんに呼び違へ、諦らめて、蔭では符諜で呼ぶことにしてゐる。僕の如く敝衣褞袍《へいいおんぽう》を身にまとひ、毛髪蓬々、肩に風を切つて歩く人種を、京都では一列一体に絵師さんと呼び、さてこそ先生である。親爺は僕を見た時から、先生で、始めから名前を覚える労力を省略したのである。僕宛の速達が来るたびに、エエと、聞いたことのない名前や、と考へ込む始末であつた。
 そこで碁会所の連中も、みんな僕を先生とよぶ。僕が愈々京都を去るとき、碁会所の連中、鶏を数羽つぶして盛大な送別会を開いた。席上、ときに先生のお名前は、と改まつてきかれたほどで、一年間見事に先生だけで通用してしまつたのである。
 みんな先生と呼ぶものだから、僕が碁を打つてゐると、知らないお客は僕を碁の先生とまちがへる。知らないお客は大概僕より強いから、
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング