珍しくない筈はない。彼は然し、さういふ興味にテンタンで、雰囲気的なものなどに惹かれることのない気質のやうで、この家を訪ねたことは一度だけ、たしか、さういふ話である。
 彼はよく自殺して、しくじつた。彼はたぶん遺伝梅毒だつたと思ふ、周期的に精神錯乱し、その都度自殺を試みる。首くゝりの縄が切れて気絶して発見されたり、致死量以上の薬をのみすぎて、助かつたり、その都度、私のところへ遺書がくる。最後に発狂し、脳炎で死んだ。
 私は長島の自殺が、いはゞ私への抵抗ではないかと思つた。彼は私と争つてゐた。然し、私の影と。私が真実あるよりも、彼はもつと高く深い何かを私に投影し、そして、私と争つてゐたやうだ。彼の死後、手垢にまみれたフランスの本だけが残された。その本のあちこちに書かれてゐる彼の感想、その中に凡そフランスの本自身とは縁のない言葉が現れてくる。「安吾はエニグムではない」「安吾は死を怖れてゐる。然し彼は、知識は結ひ目を解くのでなしに、結ひ目をつくるものだと自覚してゐるから」「苦悩は食慾ではないのだよ。安吾よ」
 この最後のは、どういふ意味なのだらう。私には分らない。彼はいつかコクトオのポトマックをぶらさげて、私のところへ現れてきたことがある。
「読んだかい、この本?」
 私はうなづいた。葛巻がコクトオの熟読者だから、私も彼の蔵書をかりて、読むことがあつたから。
「笑ひだしてしまつたのだ。君はヘドが吐けないたちぢやないか。君は何をたべても、あたらない。然し、君自身にも、毒はないね。君は蝮《まむし》ぢやないね」
 彼の笑顔はせつなさうだつた。私は彼の言葉が理解できなかつた。然し、彼が私に就て考へるやうに、私が私に就て考へることの必要を認めてゐなかつたので、私は彼に対しては、たゞ、黙殺、無言でゐるだけだつた。
 私は彼が自殺に失敗し、生き返り、健康をとりもどして私の前へ現れたとき、思はず怒つたものだつた。
「自殺だなんて、そんなチャチな優越が。おい、笑はせるな」
 彼の淋しい顔は今も忘れられない。
「知つてゐるよ。然し、ダメなんだ。俺は」
 然し、ダメなんだ、俺は。それは彼の周期的な精神錯乱のことであらうか。その意味だけではなかつたやうだ。彼は私ごとき者を怖れ、闘ふ必要はなかつたのである。彼が私に投影してゐたものは、彼の何であつたのか。然し、彼は、その錯乱のたびに、私への抵抗から死
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