家庭的ではない。是非一度実物に会ってみたい興味を覚える。
[#ここで字下げ終わり]
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私が徹夜の仕事をしてフラフラしている朝方にオール読物の廻し者の写真師が来て、易者用の写真をうつします、という。
写真をうつすに身ダシナミが大切なのは見合写真と相場がきまったわけではない。我々の場合は特に例外なく人目にさらすための写真だから、身ダシナミは云うまでもなく、技をこらしポーズをつくり、大いに衆目をだまさなければならないのだが、そういう心得については欠けることがないのだけども、一度も実行したことがない。写真屋来るというので、顔を洗い、ヒゲをそり、着物をきかえたタメシがないのである。たった一度文藝春秋誌の何とかの百人という写真の時だけ、ハダカで仕事をしていたところ、流れる汗をこらえて着物をきるというムリをした。ムリのおかげでわが生涯にたッた一度のマトモの写真ができたのである。心がけ、というものは日ごろ心得があるだけではダメなものだ。実行しなければ意味をなさんものである。
易者に見せる写真だというから、天性の麗質を強いて現す必要もないが、せめて顔を洗い、目を涼しくして、頭脳メイセキの片リンぐらいのぞかせる心得が必要であったようだ。あいにく徹夜の仕事を終えたところで、アンマの到着を待つところへ、アンマサンの代りに写真屋サンが一足先に到着した次第であるから、アンマの先着者のために顔など洗うわけには参らん。しかし、アンマの方がおくれたために、アンマにもまれつつある写真でなかったのがまだしも取柄であったろう。
それにしても、この写真には、おどろいたな。死刑囚だね。
[#易者用の写真(fig45923_01.png)入る]
死刑囚の閑日月としか見えない写真に、良いような、悪いような、良いような、その物ズバリ的なところもある目の肥えた判断を下した桜井さんは相当な手腕家だな。
彼はこの写真の主《ぬし》の職業をどう考えたであろうか。この写真の主が私であることは、たぶん知らなかったろうと思う。
そして、写真を見せて身の上判断を依頼したのが文藝春秋記者であり、それが読物に用いるためであることまでは分ったが、いかなる内容の読物だか分らないし、写真の主の名も身分も教えてくれないとすると、彼はこの人物の職業身分を自分で考えなければならないし、その点に関して一応の推測
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