主で、その点昨年暮正式に別れた先妻の徳川喜和子などとは全然タイプが違う。私はそういう彼女に愛情を感じて接近したのである。しかし、二人の愛情は最初から結婚を前提としたものではなかった。その点華子夫人も同じ気持だったろう。だから私は華頂家の離婚についてはなにひとつ責任を感じないし、今後結婚する意思もない。
〔第二〕私はもし彼女の環境が許したら、彼女と結婚してもよいと思う。しかし、それには友人知己の意見も十分聞いてから決めたいと思う。ではなぜ、いままで結婚のことを否定していたかといえば、彼女の離婚直後にそういう意見を示すと、世間にいたずらに誤解を招く結果になることを心配したからである。華頂氏についてはこのさい何も語りたくない。
華子夫人の場合[#「華子夫人の場合」は太字]
華子夫人にも二つの変化があった。
〔第一〕戸田さんはいろいろ御好意を示してくれましたけれども、二人が深い関係にあるようにみるのは世間のデマでございます。
これ以上いま戸田さんのことにはふれたくございません。理由? いいえなんとしても申上げたくございません。
別れた主人についても、私としての言い分はございますが、このさい批判するのは遠慮したいのでございます。しかしもし許されるならば華頂家に戻って子供の面倒をみてもよいとも考えています。
〔第二〕私は世間がどう非難しようとも戸田さんと結婚する決心でございます。
兄閑院春仁と主人がこんどの事件で示した態度はあまりに私の立場を無視しているのではないでしょうか。私はもっとなぜ私がこうなったかを理解してほしかったのでございます。
戸田さんと二人で、愛情で結ばれた新しい生活を勇気をもって進みたい。
[#ここで字下げ終わり]
元宮家の人々も人間に変りはないし、人間のもたらす事件の解決法に変りのある筈もない。この種の出来事は諸方に多くありうる事件であるが、どこの家の出来事にしてもいたましい出来事であることにも変りはない。
華頂博信氏は事に対処して立派であったと云える。こういう出来事に当って、華頂氏の立場におかれた人間が半狂乱の逆上的忿怒や絶望を味うことがないとすれば、その非人間性はイカサマ師の天性に類するもので、賞讃さるべき理由は見出されない。ゲーテとナポレオン、家康と秀吉はそれぞれ甚しく性格は違うけれども、こういう出来事に対してはむしろ人の何倍も逆上
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