て正しい尊敬の仕方だとは思われないが、事実肌身はなさず持っていても異様だし、事実はそうでなくとも、肌身はなさずと云わねばならぬ雰囲気がすでに異様なのであろう。
 菊乃さんがどれだけの漢学の素養があるのか知らないが、よほどの素養があったとしても、要するに先生のファンだということであろう。私のような三文文士でも宴席で先生のファンですというような芸者に会うことは稀れではない。肌身はなさずなどとゾッとするようなことを言われたことはないが、枕頭の書、誰より愛読しています、というようなことを言われることも無くはなかった。私はヒネクレているから、そういうことから、どうなったこともないが、太宰治の心中の場合はそういうことから始まったようだし、その他、師弟が恋仲になって心中したり、古い女房と別れて同棲したり、それが更に破れたり、大変なケンカになったり、また終生円満平穏の家庭がつづいた場合もむろんある。いろいろ場合があった。菊乃さんの場合はその一ツの変形であろう。
 私は事実を知らないから想像にもとづいて云うのであるが、先生から書いてもらったものを十七年間肌身はなさず持っていたというところを見ると、これが
前へ 次へ
全28ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング