に、先生によって救われ安定を得た賤の女として、しかも古の殿様との同席にも堪えうるような利巧者になりきって見せ、満足の様子もして見せなければならぬ。こういう生活の負担がどんなにやりきれないものか、先生には全然お分りにならないのだから、助からない。
むろん菊乃さんには先生の愛情の一途なのはよく分っていたし、その限りに於て、実に甚しく感謝もし、先生に対する並ならぬ敬愛もいだいていたろうと思いますよ。その敬愛が死に至るまで一貫していたことは、第一に、その自殺自体が証明しています。音もなく、声もなく、まるで影が死ぬように、菊乃さんはさりげなく死んだではありませんか。
そのさりげなさは一に先生に対する敬愛の深さ高さの然らしむるところであったでしょう。しかし、死なねばならぬようにさせたのも、やはり先生でしたね。菊乃さんに対する先生の愛情の一途さや無邪気さは万人に認められるものであるが、その無邪気さに傷けられてイケニエとなっている菊乃さんの切なさは誰にも分ってもらえない。王様をめぐる雰囲気の無邪気さは、その蔭にかくされた誰にも知られぬイケニエが自分ひとりだということを圧倒的に菊乃さんに感じさせたと思いますよ。人々自体が菊乃さんをも雰囲気の中のたのしい一員と認めているのですから、彼女にとっては、それを裏切るのは容易ではありません。離婚することもできないし、自分の本当の胸の中を誰に言うこともできない。彼女以外の人々はすべて王様とそれをかこむ神がかりの徒で、そこでは王様の言葉や論理が絶対だ。その神がかり的な雰囲気を破る力は、いかにその悩みが切実で、彼女の生活問題が切実であっても、その切実という力によって神がかりを破ることは不可能でしたろう。まるで質が違って、チグハグで、先方は全然我ひとり神がかり的に無邪気だから通じようもなかった。すくなくとも、菊乃さんの目には周囲の全てが取りつく島もなく絶望的に見えたろうと思われます。
菊乃さんが離婚もできず、切実な胸の思いも云えないとすれば、とるべき手段は死あるのみ。仕方がない結果でしたろう。
しかも、彼女は実に謙虚でした。すべてはわが身の拙さ、至らなさと観じたかの如くに、実に音もなく、影の如くに、帰するが如くに死んだ。しかも海中に身を投じながら、水をのんでいないというのは、彼女の思いつめた切実な思いのきびしさが、水中に身を投じて死する前にすで
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