不満をもらしている。※[#丸1、1−13−1]高橋の内妻吉田照子を証人によんでくれといったのに何故よばなかったか、※[#丸2、1−13−2]二人は当夜泥足で行ったのだから畳に足跡がついているはずだ、※[#丸3、1−13−3]大内が後から抱くようにして首を絞めたとすれば大内の着衣に血が着いていなければならぬ、※[#丸4、1−13−4]捜査主任は何故私に法廷でこの供述書に書いてある事をひっくり返す様な事をしてくれるなといったか。――しかし大内小林の二人についても、二人がヤミの取引なので「昼は具合が悪いから夜来る」と爺さんに話していたにしても、深夜二時頃というのはあまりにも常識外れではないかというような疑問が残らぬわけではない。結局上告棄却となり無期が確定、服役したものであった。
しかるに沼田少年の自供は小林大内が強制せられて云われる通りの自供を行ったという兇行事実と符合するのみでなく、使用した兇器、鉈《なた》、薪、フンドシ(絞殺用)等も現場と符合し、特に「殺した後で屋内を物色していると、外で足音がきこえたので仏壇のかげに隠れているとヤミ屋風の男が中をのぞき死体を見てビックリして逃げ去った」というのが小林大内の不認供述に一致していた。そこで沼田の犯行はほぼ確実と見らるるに至ったが、一方すでに服役中の小林大内は同囚に向い無実だと云ったことは一度もなかったという。
尚、沼田はその事件の犯人として小林大内が捕えられ服役中のことを知らなかったものである。
[#ここで字下げ終わり]
誤審の由来にもいろいろ理由はありましょうが、まず容疑に多少とも不明瞭でアイマイなものがある時は、強いて犯人をつくらないことが誤審をさける第一の方法でしょう。ところが世間は世間で犯人が上らないと怒るし、容疑者を捕えると、容疑者らしくないと首をひねる。
私もツイ三日前に、伊東市に起った殺人事件を吟味して、息子が父母を殺した犯人であると論断して某誌に書きました。警察側も私と同一の犯人を推定して逮捕状をもとめたようですが、伊東市民の大半は教養もありおとなしそうなその息子が父母を殺す筈はないという人情的考察で彼を犯人にあらずと見ているようです。この事件は犯人がいろいろと現場に偽装を施したにも拘らず、多くの状況がただ一人の容疑のみを深め、そのほかにも犯人があるかも知れんという想像の余地がほとんどないぐらい、実にこんなに夥しく重大な状況証拠が一人にだけ重なっているのは珍しいような事件でした。ところが、そういう珍しいほど多くのシッカリした容疑事実にも目をそむけて、人情的見解や感傷につくという、理につくよりも情につきたいという、私はそういう俗情の動きが何となく言論無用という暴力団のように怖しく思われて、次第にたまらないような気持になって、その結果が思いきって親殺しを論断するという向う見ずな実行に至った理由の一ツでしたろう。真理はどうなるのでしょうか。俗情が真理を否定して、その不合理に気付かないばかりでなく、俗情にそむいて真理をもとめ理につくことが冷酷で、人でなしの所業で、悪行であり、情につく方が善意の人の所業で善行である。そういう俗情が国論となったら怖ろしいことになるであろうが、しかし、実に国をあげて俗情につきたがるような、そういうキザシなきにしもあらずでしょう。その俗情の横行に堪えられなかった意味があるのですが、とにかく公の裁判に先立って、息子の父母殺しを論証するという、それは私にとっても大変な決意を要することでしたが、しかし一方に、それは又あまりにも事実がハッキリと物語っているのですから、それに目をそむける多くの人々の方がフシギであり、ウソの犯人を論断する危険がないかという不安に苦しむことは案外少なかったのでした。しかし、むろん、他に犯人がありうるかどうか、考え及ぶ限りは考えつくした上で、その怖れがないようだという確信があって、やったことです。殺人事件の犯人をその逮捕前に論証して発表するということは、私のようなガラッ八でもよほどの確信と決意がなければできることではありません。警官や裁判官のように一人の罪を公に断ずるものではないとはいえ、ある息子を両親殺しの犯人と断じて発表してマチガイであった場合には、筆を折る覚悟はいりましょう。可能なあらゆる細部にわたって考察を重ねた上で、彼の容疑をくつがえしうるものがありえない、他の何者も犯人ではありえない、という確信が他のいかなる証拠によっても疑われる余地なく納得できなければ、とてもやれるものではありませんね。
しかし、伊東の殺人事件の場合には、甚だ多くの手がかりがあって、状況証拠だけでも(物的証拠は当局の正確な発表がないから分りませんが)抜き差しならぬ性質の容疑を証明しておって、そのほとんど全てのものがあげて一人の容疑のみを深
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