、犯人に非ず、こう断ずるのが至当であろう。
 しかるに、彼らが自白をひるがえした時に、その理由の追求がどこでアイマイになってしまったのか見当がつかないが、よしんば盗んだ米を運んで被害者のところへ売りに行った時にはすでに死んでいた、その供述のうち米を盗んで袋につめかえて被害者宅へついたのが午前二時であったというところまでが事実であるとしても、彼らが到着した時にはすでに被害者は死んでおって、だから犯人ではない、そういう証拠は前段の事実だけからは出てきません。ただ、そこまでの供述が正しいから、次に、彼らは土間で屍体を見て室内へ上らずにすぐ逃げたからタタミの上には足跡がなかった筈であると主張していることも再調査の必要があろう、カンタンにウソだろうと片づけるわけにもゆかぬ、ということにはなりましょう。
 彼らの身になって考えてやれば、せっかくの米を途中で捨てて逃げたのも、ヒョッとすると自分らが犯人に疑われる心配があるということで、殺人に当って指紋を残さぬために手袋を用いるだけの要心を心得た犯人が指紋よりも手がかりになり易い自分の袋に米をつめたまま捨てて行くことは首尾一貫を欠いてダラシがなさすぎる、ちょッと理窟に合わぬ、変だ、と見ることもできましょう。
 彼らは犯人ではないくせに、そう疑われる不安のために心が顛倒して、疑いの元になるのも気付かずに自分の袋につめたままの米をすてて逃げた。疑われる不安の方だけ強くて、犯人でないことを立証する自信もないし、無実を主張する以外に具体的な論証法の心得もない。そういう彼らであるから、疑いの手がかりとなる米袋を捨てたのでしょう。これが無実に泣く人の性格でもあって、彼らは服役後、一度も自分らは無実だともらしたことがなかったそうですが、あきらめてしまって、ジタバタせずに恩赦で刑期をちぢめる方が得だと考えたのかも知れませんが、教育のない人たちの中には、国家社会の運営は自分らとカケ離れたもので、無教育な自分の意見など言い立ててもダメなものと諦めきってる者も少くないものです。
 これらの人々のためには何よりも弁護士が必要だが、それも特に逮捕直後に於て必要だ。なぜなら、証拠が生きているのは事件発生後きわめて短い時間だからです。

     ドッグレースの話  辻二郎

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 先頃衆議院の農林委員会でドッグレースの法案が審議され、其時自
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