事実林さんは、もろ/\の破壊力とたゝかいながら、よく感性の枯渇からまもり、いくつかの傑作をかいた。戦後の「雨」「晩菊」「浮雲」など、前期の林さんのもたなかった思想性をもちはじめている。中でも「浮雲」は、敗戦に対する日本人の偽りない心情告白の書として、後世にのこる意味をもっていると思う。
こんな公式な感想とは別に、私の眼底には、氏が二十三歳で、私が二十二歳だったころのシオたれたメイセン姿が浮かぶ。私たちはよく二人で電車賃がないまゝに世田谷の奥から本郷の雑誌社まで歩いた。着物も御飯も貸し合った。むくわれない愛情のために泣き合った。あゝ彼女今や亡し。
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[#地から1字上げ](六・二九 夕刊朝日)
[#地から3字上げ]宮本竹蔵
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作家がヘタクソの小説を書くと、ジャーナリズムの酷使がそうさせたといった。自殺でもすると、いよいよ大酷使のせいにしてしまった。生活がジダラクで、頭が空ッぽになり、生活力が消耗してしまったことは、棚に上げているのである。林芙美子の死は、心臓マヒで自殺でもないが、それでも平林たい子によると、どんらん飽くなきジャーナリズムの酷使で、犠牲になったものだそうである。(朝日)林は朝日に、小説を執筆中だった。だから平林によれば、差し当り朝日が「どんらん飽くなき」ジャーナリズムの代表ということにもなりそうだ。現代の作家とか批評家とかいわれる人種は、ジャーナリズムで生計をたてているのであるが、何か悪いことが起ると、原因をジャーナリズムに押しつけるくせがあった。悪人はきまってジャーナリズムだった。
林は一年中つづけて、長篇を書いたほか月々三つも四つも短篇を書いた。芸術にも勤労にも、常識にないことだそうだが、こんな無理を強いたのはジャーナリズムだったと、平林はいうのである。だが飽くなきどんらん性は、無理を強いた側のみにあって、無理を呑みこんだ側にはないのか。これは魚心と水心だ。罪があるなら、罪は五分五分のたたき分けでなければならないはずである。あまり一方的のものの言い方をすると、逆効果で、死者を辱しめることになりそうだ。
一般にジャーナリズムに対し、個人の力で、どうにもならない魔法の力があるような迷信がある。清水幾太郎によると、二三の大新聞と、NHKが共謀すれば、思うがままに世論を作り出すことができるそうだ。だが民衆
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