めではなく、お金に困らない場合に、女房を働かすべきです。自分の仕事の助手とか、共同の仕事とか、そういうことで奥さんに手腕をふるってもらうのは却って家庭平和のモトをなすかも知れません。女房が家庭生活一方というのは、そういう家庭的な性格の奥さんならよろしいが、社交家で家庭外の方向に手腕もあるし、家庭生活だけではなんとなく物足りないという性格の奥さんには、はじめからそういう手腕を外部的にふるってもらって、それで浮くお金で女房の家庭労働を省くようにするのですな。二人で外で食事するようにしてもよろしいし、手数の省ける家庭用の文明器具をとりそろえるように心がけてもよろしいでしょう。そのような明るく便利な家庭を建設するような考えがあって、奥さんもともに働くというようなことは、よろしいな。お金持であればあるほど、むしろ奥さんは働く方がよろしかろう。
生活が苦しい時に奥さんを働かすことは絶対にやってはダメです。苦しい時に働いて助けてくれないようなそんな女房はひどく不自由で、実に女房なんて物の役に立たなくてバカバカしいものじゃないか。実際バカバカしいものなんですよ。つまり困った時に役に立つというような飼主的な亭主関白の独善的な論理や倫理が、結局、アベコベに、困ったときに役に立てようとすると破滅をもたらすことになる。その決定的な因子をなしているのですよ。困った時の役に立てようと思って女房を働かせると、女房が発見するのは亭主の独善的な論理の陰に隠されていた自分の論理と、それから世間の面白さ自分の家庭の暗さであります。
働きにでた女房が彼女の論理を発見するような結果になったときには、日本の男の子は自分の腕で生活を支えられなかった責任を感じるのが第一に大切なことで、一家心中ムリ心中などと云うようでは、全然ダメだなア。女房を派出婦にする代りに自分の方がどんな賤業についても一家を支え亭主関白の貫禄を支えるべきであった。アア、我アヤマテリ、と思いなさい。日本の夫婦は男女同権ではありませんとも。憲法や法律はどうあろうとも、生活の実情に於て亭主関白、飼主の特殊な論理や倫理は亭主側にあって、それで威張っているのだから、飼い女房を働きにだして逃げられたら、それは自分の力で生計を維持して飼主の実力を維持できなかった自分の責任であるから、アア、我アヤマテリ、罪は男の子たる自分にのみありと認めなさい。こういう
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