出て横須賀の航空技術所を出て海軍に入っていました。終戦後神奈川県庁地下室で時計屋をしている兄の所で昨年八月まで手伝していましたが十一月に長女が生まれ私の実家(横須賀市)で一緒に暮していました。今年の一月『職を探して来るから』といって出たまゝ消息がなく私は途方に暮れているところでした。その夫が今は井ノ頭病院に一切の過去を失っているというのですから、私は義兄と義姉=夫の姉静子(二九)=と長女と四人で取る物も取りあえず廿四日病院にかけつけました。主治医の曾根博士は私達から一通りの話を聞き終ったあと『ネクタイの裏にコタカ、ズボン下にトクサワとありますが本人に間違いないようです』といわれ姉と私を待たせ、暫くすると看護服を脱いで色とり/″\の私服姿をした五人の看護婦さんの間に私たちを交えてしまいました。やがて呼吸曲線測定器をつけた男が現われました。まぎれもない夫です。夫は博士の命で私たちの顔を次々じっと見てゆきましたが顔には何の表情も現わしません。呼吸の乱れもありません、博士はダメだという風に首を振りました。たまりかねた姉が『袈裟寿!』と呼んでも知らぬ顔、全然見知らぬ他人と同様なのです。私が『まだ
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