主文」
被告は原告に対し、金三万円を昭和二十三年十月二十日以降、年五分の利息と共に支払うことを要す。原告のその余の請求はこれを棄却する。訴訟費用はこれを十分し、その一を被告の負担とし、その他を原告の負担とする。
「理由」
(前略)原告は本件予約を解除する正当の権能を有し、しかして、さらに原告は被告に対し損害賠償を求めることができる。右損害は金三万円と認定すべきものである。
けだし、原告本人の供述によれば、原告はクリーニング請負によって月約三万円の収入をあげており、純益はその五割で、原告は本件婚姻予約のため、ほゞ二ヶ月休んで原業に復したることを認めることができるからである。
原告は慰藉料金二十万円を請求しているが、慰藉料を請求し得るのは女子のみで、男子はこれを請求し得ない。これ、女子の貞操喪失すなわちその純潔の喪失に対する社会的評価と男子の童貞の喪失に対するそれとの相違にもとづくもので、これを同一に評価することは法律上妥当でない。
よって、当裁判所は原告の本訴請求中、金三万円の損害賠償の部分を理由あるものとして容認し、その余の部分、および慰藉料請求は失当として、これを排斥する。(東京地方裁判所民事第一部、裁判官、安武東一郎)
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この判決に対して二三反対の言葉を新聞紙上で見た記憶がある。誰か女の人の側で、男女同権にもとるという意味の反対があった。男の貞操も認め男の子にも慰藉料をやるのが同権にかなうという意味であった。女の子ばかり貞操を要求されちゃかなわんというフンマンでもあり、よって男の子にも貞操を要求し欲しけりゃお金ぐらいくれて追んだしてやらアというケナゲな精神であるが、自分でお金を稼いでシコタマ握っている女の子がタクサンいるとは思われないが、どこから慰藉料をひねりだすツモリやら、みすみす損をなさることはありませんな。
この判決は妥当であろう。裁判というものは理想にてらして行うものではなく、現実に立脚してやるものだ。裁判を理想にてらし、たとえば男女同権の精神にもとづいて、現実を無視してやったら、いろんな痛快な判決はできるだろうけど、その後始末がつかないでしょう。男の子は喜び勇んで我も我もと慰藉料を請求したいにきまっているが、女の子は払ってくれないね。
日本の現実で考えて、まア大体に於て男の貞操にはたしかに値段がありませんな。性病の有無というようなことは結婚の支障となるかも知れないが、童貞であるか、ないか、第一、鑑定の仕様がない。しかし、ここに、お金持の姫君の聟たらんことを一生の願いとして日夜イナリ様に願をかけ親も息子も茶だち酒だちして学を修め芸を習いひたすらに良縁を待ちこがれているケナゲな一族があったとします。念願かなってお金持の姫君へ聟入りできたが、哀れにもあんまり気がはりつめたか翌朝から下痢を起して、姫君にいやがられ、再び同衾《どうきん》を許されなくなってしまった。そこで離婚訴訟となったが、かく戸籍に傷がついては、男は再び金満家へ聟入りすることができない。そこで失われた童貞に対して慰藉料請求となった。なるほど。こういう時には問題だね。童貞の値段は大アリかも知れん。
このバカモノめ! 男のくせに自分の腕で食べようとせずに、金持のムコを一生の念願とするとは何事か! と叱るわけにもいかないね。男子たる者は金持のムコを望むべからず、という規則があるわけではない。聖賢の戒めの中には多少似た意味のことがあるかも知れんが、聖賢の戒めが凡夫の生活を律しうるなら、天下に法律などの必要はありませんさ。
原告のクリーニング屋さんも、余は金持のムコたらんことを一生の念願とす。かく童貞の純潔を汚されては再び良家のムコたるあたわず。よって、慰藉料をよこせ、と申したてると、判事も若干おこまりだったかも知れん。慰藉料を請求しうるは女子のみにして、男子はこれを請求するあたわずと、簡単に断定するわけにはいかなかったであろう。
もっとも、六法全書かなんかに、そんな規則があるのか知らん。私の書棚にはかつて六法全書などというものが存在した例がないので何も心得がないが、そんなに憲法の如くにきめてかかった規則はないでしょうね。このクリーニング氏の場合には、請求できなくとも、男の子だって慰藉料を請求しうる場合がある筈である。つまりこの判事氏は表現をあやまっている。このクリーニング氏の場合に於ては、と云うべきであって、男の子は、と全般的に言うべからざることではないかと思われる。
だいたい裁判というものは、個に即して判定すべきものだ。女の子は、とか、すべて男の子は、とか、全般的に言いきるのは哲学者かなんかのやることで、裁判官のやるべきことではなかろう。普遍的な公理のようなものを仮設して、そこから一クリーニング氏の場合の結論をだす
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