ことを国民のギセイに於て行うような神がかりの気チガイ沙汰へと発展して行くにきまってるのである。
村の発展は青年のギセイ精神にまたねばならん、などと云うのは、どうせ中年老年どものクリゴトにきまっているが、ギセイの必要あらば、そういう御身らが曲った腰にムチうって自ら進んでギセイたるべし。ギセイというものは自発的になすべき行為で、人にもとむべきものではない。人に強要されたギセイは、ギセイとは別個のもので、人を奴隷と見ることだ。人の労に言葉で報いて美しくすますようなことも、根は同じく、封建、奴隷時代の遺風だ。物質を卑しみ、精神的なものを美しとするのも、人間を奴隷的にタダでコキ使うに必要だった詭弁にすぎないものだ。
実際は、物質で処理しうるもの全て物質で処理する秩序が確立すると、本当に内容充実した礼儀やモラルが実生活の表面へハッキリ押しだされてくるのである。即ち、人の勤労には必ずそれだけの報酬せよという習慣が確立しておれば、村の発展は道路工事にあり、されど金なし、義人現れて奉仕せざれば村の発展なし、と分って、自ら先じて黙々と道路工事の奉仕に当る。真に村を憂うる者が黙々と村に奉仕するのは自然であり、かくて村政にたずさわり村を憂うる村長や有力者は自然に自ら義人となり、義人政治行われ、これぞ村のあるべき当然の姿ではないか。勤労に対しては必ずそれだけの報酬せよ、という秩序が確立することによって、アベコベに、真の義人が現れる基盤ができるのである。
「道路工事に義務人夫で出ろ。さもなければ茶菓子をだせ」などという暴力政治が、田舎では今でも行われているのですね。この青年が反抗するのは当然だ。真に日本を愛し、日本のより良く暮しよい国たらんことを願う者が、再びこのような暗黒な暴力政治におちこみつつある村政に反抗しなくて、どうしようか。口に大きな理想を唱え、天下国家を論じる必要はない。自分の四周の無道に対して抗争し、わが村の民主政治が正しかれと努力すれば足りるであろう。
可哀そうな青年よ。君の村は、そんな悲しい暗黒な、暗愚な村なのかねえ。そのような暗愚や暴力に負けたまうな。村のボスなどと妥協したもうな。君の味方が、君の友が、僕一人である筈はない。
日本の農村はひどいねえ。百姓ぐらい我利我利亡者で狡猾な詭弁家はいないよ。農村は淳朴だの、その淳朴な百姓こそは真の愛国家で、それ故に天皇を愛しているなどというのを真にうけていると、再び軍国となり、発狂し、救いがたい愚昧の野蛮国になってしまうばかりだ。
しかし、とにかく、君の会社が村の策謀を尻目に、君をクビにしないのは、爽やかな救いを感じるね。ねがわくは、悠々と、正しく信念を貫いて、そして会社の仕事をシッカリやってくれたまえ。困ったことが起きたら、また、手紙をくれたまえ。
底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第六巻第五号」
1951(昭和26)年5月1日発行
初出:「オール読物 第六巻第五号」
1951(昭和26)年5月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2009年10月8日作成
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