母の愛情は知っているのである。愛されながら誤解したり、強いて愛されていないと誤解しようとするムキもあるから、それに比べれば、そうヒネクレてはいないのである。ただ自分を理解してくれない父や兄たちやアニヨメに重点をおいて、主として不満を軸としているのは甘ッたれた気持で、母の愛に傷められた甘えッ子の感多く、つまり低能であるが、これもヒネクレているせいではなくて、要するに甘ッタレだ。しかし、理解して貰えない切なさは、真実切なかった筈だ。どんなに幼くとも、低能でも、その切なさは万人の身にしみわたる悲しさで、変りのあるものではない。若いほど身にしみる悲しさかも知れない。とりわけそういう切なさをヒシヒシ感じる魂は幸福な魂ではないが、しかし、ヒネクレていることにはならない。いわば詩人の魂である。低能だから人を刺殺したが、魂はヨコシマではなかったのである。
 殺人にも色々ある。正義とみて大官を暗殺し、わが身は正しいことを行ったと自負しているような低能もある。同じ低能殺人犯にも甚しい相違があって、この自称英雄が大官を暗殺する根柢には政論の正邪の判断がある筈だが、理論的に正邪を判ずるほど成人になっていながら、殺人という手段を選ぶ低能ぶりというものは、野蛮で悪質だ。少年の場合はだまされて千円とられたという理論のない直接のもので、つまり幼年の低能さだ。もっと智能が生育して、やや低能でなくなれば、そういうことは為し得ないであろう。同じように悪を憎み正義を愛すにも、自称英雄は政論の正邪を一人のみこみしたあげく殺人という事柄の正邪をさとらず、むしろ自分の行為を英雄的に自負しているほど生蕃《せいばん》的で文明人の隣人らしいところがないが、少年の憎む悪は素朴で直接的で、彼の愛している正しさも、生蕃の神がかり的な手前勝手のものではなくて、あたりまえの素朴な市井的な善ということであったろう。少年の低能ぶりは、やがてもっと低能ではなくなるだろうし、低能でなくなれば、という救いはあると思われる。崇高な殺人などを冷静に考える低能には救いがない。狂犬が正義を自負しているようなものであるが、こういう狂犬のたぐいでないと戦争を仕掛けてやろうなどゝは考えない。少年はもっと生長して低能でなくなれば、幼児の理窟で、武器を握って人を刺しはしないだろう。私がこの少年にのぞむことは、悪を憎む心を失わず、早く大人になりたまえ、ということだ。大人は化け物ばかりだよ。君も化け物になるであろうが、大化け物になる素質はないようだ。

     第二話 カゴヌケした娘の話  山口公子(二十歳)

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 ジミーと知り合ったのは、ホテルに勤務している頃で、二世だと自分でいっていました。私に対する好意を率直に表わし、親切にしてくれました。
 二十歳の今日までの私の生活は、何不自由のないものでした。むしろ、両親から甘やかされ、我儘一ぱいに育てられた方だと、自分でも思います。でも、父も母も、私が年頃になると、私の行動に、とても神経質になり、うるさく干渉しはじめました。私が両親を説いて、ホテルに勤めるようになったのも、そんな重苦しい家庭の空気が、いやでたまらず、自由な社会へ出たかったからです。
 だから、ジミーに対しては、別に恋愛感情など、なかったのですが、彼との交際は、私には救いでした。すべてが愉しかった。
 遊ぶといっても、私はダンスなどできませんでしたから、銀座を歩いたり、映画を見たり、レストランへ入ったりするくらいなものでした。
 でも、鎌倉の家には、毎晩きちんと帰りました。父は夜は八時を門限ときめていました。遅れないように注意していましたが、ジミーと交際するようになってからは、その時間をすぎて帰宅することはしば/\ありました。その度に、父はひどく叱ります。不満でした。ちょっと映画を見ても、鎌倉まで帰ると、八時をすぎるのは当り前なんです。
 家出したのは九月、その夜もジミーと一しょでした。気がついた時には、とっくに、八時をまわっていました。どうせ叱られる、覚悟をして、遅くまでジミーといました。
 家へ着いたのは十時でした、戸がしまっていましたが、灯りはついていました。でも、父も母も、どうしても家へ入れてくれないのです。かっとなって駅へ引返しましたが、行く先のあてといっても、結局、ジミーのホテルよりほかはないのです。
 その夜、ホテルで、ジミーにはじめて許しました。仕方がなかったのです。両親への反抗だったかも知れません。それに、彼はとても親切でした。
 それっきり、家へは帰りませんでした。一しょに暮しているうちに、ジミーは二世の貿易商だといっていましたが、本名は新仏典儀といゝ、広島に父母もあることがわかってきました。でも、ジミーはお金を沢山もっていたし、本当に愉しい日々でした。なんでも買
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