ン・ダイビングというものを、みなさん知ってますか。
男の子や、女の子が、二人か三人で、一しょにダイヴィングするのである。にわか仕込みとみえて、その場でうち合せて跳びこんどるから、なかなか、そろわない。水へつくころは二人の距離がだいぶ差があるし、回転するにも、そろったことが殆どない。
それでも、結構である。とにかく、日本の水泳選手が、ショーの精神をもって、見物人をよろこばせようと心がけるに至ったのだから、日本の水泳も変ったのである。
もッとも、跳び込み選手の中に、柴原君がまだ健在であったが、彼は戦争前からの古い選手である。水泳というものは他の競技にくらべて選手の寿命が短いから、彼のほかに戦争前からの選手は見当らない。彼はずいぶん古い選手のはずだ。ダイヴィングといえば、むかし、立教の原君というのが、なんでもかんでも逆立ちして跳びこみたがる先生で、フンドシ一つでいつもプール際をうろうろしているお行儀の悪い選手であった。彼はいつまでも上達しなかったが、いつまでも跳びこんでおり、たぶん柴原君も一しょに跳びこんだことがあるだろうと思う。
昔の柴原選手は今のようではなかった筈だが、彼は今やビヤダルのようにふとっている。それで跳板跳びこみまでクルクルやっているから、私も気が強くなった。彼はふとッちょに勇気を与えてくれる。若返りの精神を与えてくれる。御利益あらたかであるから、ふとッちょはダイヴィングを見物に行きたまえ。しかし、こんなにふとッちょのダイヴィング選手というのは、世界になかったことだろうな。コンビネーション・ダイヴィングというのをやると、やっぱり彼が一番早く水面に到着する。
拙者と同姓の坂口さんという高飛込みのお嬢さんが、傑出していた。私の見てきた女子ダイヴィングではこの選手のフォームが一番よろしいようだ。これもコンビネーション・ダイヴィングをやる。最後に、も一人のお嬢さんと組んで一本の丸太ン棒となり、というのは、お互いに相手の足を抱きあって一本の丸太ン棒となるのだが、そして水中へ墜落するという余興を見せてくれたが、その意気はさかんであるが、美しいものではない。
しかし、こんなことをやってみせようというユーモアあふるるコンタンは珍重するに足る。慶賀すべき戦後派健全風景で、ダイヴィングがはじまるや、見物衆、
「わア。ストリップよか、エエもんだなア」
期せずして、皆々、そう叫んだところをみると、世道人心に御利益があるのだ。私も同感であった。ストリップのどんな踊りよりも、坂口さんの高跳びこみの方が、魅惑的である。彼女がクルクルと空中で描きだす肉体の線は常に伸びており、殆どあらゆる瞬間が美しい。
私はストリップ・ファンに改宗をおすすめするが、ぜひダイヴィングを見物して、健康児童になりたまえ。
「しかし、ダイヴィングの選手は短命でしょうな。長生きしねえだろうなア」
と云って、同行の中戸川宗一がしきりに心痛していたが、なるほど、見物衆というものは、いろいろの見物の仕方があるものだ。もっとも彼は酒屋以外を訪問したことが殆どない男だから、人間は歩くという速力以上の運動をやると心臓にわるい、というようなことを常に心痛している男なのである。
しかし柴原選手は、拙者は十数年間ビールばかりのんでいました、というようなタイコ腹でクルクルとびこんでいるから、飲み助は彼によって救いを感じるのである。肉親の愛情をもち、かつ、大いに安心する。オレだって、まだ、あれぐらいのことができるのかも知れねえぞ、という気持になる。万事につけて、スポーツは御利益があるものだ。
私は二日間みたが、三日目は見なかった。切符は有ったのだけれども、レース開始の一時間前までに入場しないと見せてくれないというし、その辛労を三日間つゞける勇気が、とてもなかったのである。
気楽に見ることのできないスポーツなどゝいうものは利口な人間の見るものではないが、私は商売だから二日間我慢して、一時間半前に入場して、見物したのであった。
底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第一三号」
1950(昭和25)年10月1日発行
初出:「文藝春秋 第二八巻第一三号」
1950(昭和25)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年1月10日作成
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