推理されたと思うが、見物人が踊るには不都合にできている。どうせ踊りやしないんだろう、と先方で一人ギメにしているらしい風情なのである。テーブルもイスもあってビールをのもうと思えば取りよせてのめる仕掛だが、ボーイとおぼしき風態の人物がいるわけではない。子供はいるが、彼は戦争中の服装で、誰かがビールをのむことに興味をもっていないようだ。イスとテーブルも兵舎的実用品で、席へつけば一同が実用的な心構えになることを慫慂《しょうよう》されているようである。警官の臨観席の坐り心持であった。イスとテーブルが、私のお尻からささやいて、きびしく命令している。
「よく睨め。ジッと睨め」
 そこで私は睨まなければならんのである。
 私の眼前には三百人の美姫が楚々として踊っている。私に東京パレスを精密に叙述して一見をすすめた友人(頭に特徴のある人物)は、こう教えた。
「そこには二百人の美姫がイヴニングをきて踊っているです。イヴニング! しかして、全部、美人である! よく揃えたなア。彼女ら二百人の三分の二は、東京のマンナカ、と云えば銀座、銀座のダンスホールの美人とよばれるダンサーに劣るものではないですぞ。ぜんぜん見劣りしないね。むしろ、より美しきものである。そのフェースに於て、スタイルに於て、銀座のダンサーだにすらも、かの二百名の美姫にくらぶれば、ああ、だにすらも」
 彼は刺戟性の事物に近づくことが適しない人物のようだ。前後不覚に亢奮しやすい。
 しかし彼の腹心(彼には腹心がある)が、彼のために、こう弁護した。
「彼がここへ来たのは一カ月前です。そのときは、たしかに美人が多かったらしいです。時の一行は概ね逆上的に心酔しておったです。ぼくも、その時、来ればよかったなア」
 予言者は世に容れられないものである。美神アロハも一応予言者ぶったフリをしてみたかったのだ。そこには使徒巷談師というものが現れて、やがてその福音を説くことが定められていたせいらしい。
 一時世に容れられなかったのだ。というのは田ンボのマンナカの一軒屋という高貴の風俗が異教徒どもに分らなかったからである。彼らは銀座にのんだくれて、円タクをよびとめる。
「小岩! いくら」
「千円」
「八百円にまけろ」
 畜生! 円タク代、八百円か! 翌日、恨みをむすんで帰る。オノレ、円タク。異教徒は恨み深い。
 東京駅前から市川行というバスにのるので
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