うなのがタクサンいる。ストリップとても同じことで、舞台で停止した裸体の美はない。裸体の色気というものは芸の力によって表現される世界で、今のストリップは芸を忘れた裸体の見世物、グロと因果物の領域に甚しく通じやすい退屈な見世物である。
 いくらかでも踊りがうまいと、裸体もひきたつ。私が見た中ではヒロセ元美が踊りがよいので目立った。顔は美しくないが、色気はそういうものとは別である。裸体もそう美しくはないのだが、一番色ッぽさがこもっているのは芸の力だ。吾妻京子がその次。しかし、生の裸体にたよりすぎているから、まだダメである。舞台の上の女に誕生することを知らないと、せっかくの生の裸体の美しさも死んだものでしかない。
 セントラルのワンサの中で、小柄の細い子で、いつもニコニコ笑顔で踊ってるのが、私は好きであった。浅草小劇場で、踊りながら表情のクルクルうごく子が可愛らしかった。ニコニコしたり、表情がクルクル動いたり、たったそれだけでも、無いよりもマシなのである。たったそれだけで引き立つのだから、ほかの裸体はみんな死んでるということで、芸なし猿だということだ。
 女の美しさというものは、色気、色ッぽさ
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