心を使わずに打ちとけることができるのである。見物人に大人物の心構えを思いださせるようでは、とてもダメだ。だいたい、拍手も、タメイキも起らぬ。いかなる物音も起らぬという劇場は、妖怪屋敷のたぐいにきまっているな。
 私も商売であるから、日劇小劇場では、一番前のカブリツキというところへ陣どり、沈々としてハダカを睨んでいる。女の子のモモが私の鼻の先でブルン/\波うち、ふるえるのである。決して美というようなものではない。モモの肉がブルン/\波うつなどゝは、こっちは予測もしていない。ギョッとする。そのとき思いだすのは、大きな豚のことなどで、美人のモモだというようなことは、念頭をはなれているのである。
 わざわざ仮面をかぶり、衣裳をつけて、現れる。これを一つ一つ、ぬいでいく。ぬぐという結論が分っているから、実につまらん。どうしたって脱がなきゃ承知しないんだというアイクチの凄味ある覚悟のほどをつきつけられている見物人は、ただもう血走り、アレヨと観念のマナジリをむすんでいるのである。どうしたって、脱がなきゃならんのか。コラ。
 それは約束がちがいましょう、というようなことは、どこにでもある手練手管である
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