身動きできなくなったが、網代《あじろ》でドッと押しこみ突きこみ、阿鼻叫喚、十分ちかくも停車して、ムリムタイにみんな乗りこんでしまったのは、網代の漁師のアンチャン連だ。かくて乗客の苦悶の悲鳴にふくらみながら、電車は来ノ宮につく。
 火は眼下の平地全部をやき、山上に向って燃え迫ろうとしている。露木か大黒屋かと思われる大旅館が燃えている一方に錦ヵ浦の方向へ向って燃えている。火の手がはげしい。
 熱海というところは、埋立地をのぞくと、平地がない。全部が坂だといってもよろしい土地であるが、銀座から来ノ宮へかけては特に急坂の連続だから、火の手は近いが、この坂を辛抱して荷物を運ぶ人の数は少く、さのみ雑踏はしていなかった。
 風下の坂の上から、風上の銀座方面へ突入するのは、女づれではムリであるから、仕方なく、大迂回して、風下から銀座の真上の路へでる。眼下一帯、平地はすでに全く焼け野となって燃えおちているのである。銀座もなく糸川べりもない。そのとき八時であったが、当日の被害の九割までは、このときまでに燃えていた。鎮火は十二時ごろであったが、私が到着して後は、燃え方は緩漫であった。
 火の原にかこまれた山上でも、伊東と同じく、微風が吹いているにすぎなかった。
 どうして、こんな大火になったのだろう? みんながそう思うのは当然だ。
 十日前に駅前の仲見世八十戸やいた時には、山上のために水利がわるく、水圧がひくくて消火作業が思うにまかせなかったからだ、という。それに対する批判の声があがっている最中であった。
 今日の火事は夕方五時、まだ明るい時だ。海に面した埋立地で、交通至便の繁華街に接している。大火になる条件がないのである。
 そこで、
「海水を使うとホースが錆びるからといって、消防が満々たる海を目の前に、手を拱いていた」
 という怨嗟のデマが、出火まもなく、口から口へ、熱海全市を走っていた。
 しかし、そもそもの発火がガソリンの引火であり、つづいてドラムカンに引火して爆発を起し、発火と同時に猛烈な火勢で燃えひろがって処置なかったものらしい。
 火事による突風が渦まき起って百方に火を走らせ、発火から二時間ぐらいの短時間で、全被害の九割まで、焼きつくしたようである。私の到着したときは渦まく突風はおさまり、目抜通りは焼けおちてのびきった火の先端だけが坂にとりつこうとして燃えつつ立ち止っているときであった。
 火元はキティ颱風でやられた海岸通りの道路工事をやってる土建なんとか組の作業場で、十九か二十ぐらいの若い二人の労務者が賭をした。
「タバコをガソリンの上へすてるともえるかもえないか」
 という賭である。そこで、もえる、と云った方が、じゃア見てろといってタバコをすてたので、火の海になった。あわてて砂をかけたが及ばず、アレヨというまに建物にもえうつりドラムカンに引火して、バクハツを起し一挙に四方に火がまわったのだそうだ。
 火元の土建の何とか組は、私にも多少の縁がある。
 銀座のビルの一室をかりて、なにがしという綜合雑誌のようなものをだしていたのが、映画俳優のY氏であった。三年ぐらい前の話で、ひところの出版景気に、目先が早くて行動的な映画人で出版や雑誌発行をやった人も相当いたようだが、映画雑誌か娯楽雑誌が普通で、Y氏のように、綜合雑誌めいたものは例外だろう。Y氏の柄に合ったもののようにも見えなかったし、編輯上の識見があったとも思われないが、なんの困果でこんな雑誌をだしたのか私は今もって知らないが、徹底的にピント外れで、Y氏ならびに雑誌合せて、奇抜、ユニックな存在だったかも知れない。
 そのうち出版不況の時世となって、Y氏の雑誌も立ちゆかなくなり、旧知の作家O氏の救援を乞うたところ、O氏のはからいで、O氏や私を同人ということにして、新雑誌をだすことになった。
 そのとき、新雑誌のために二十万円ポンと投げだしたのが、O氏の知人で熱海大火の原因となった何とか組の何とか親分だ。もっとも、実際は親分ではなくて、親分の実弟だそうだが、私の聞きちがいか、紹介者が面倒がって端しょッて教えたせいか、私は熱海の大火まで、なんとか組の親分ズバリだと思いこんでいた。
 O氏の話では、新雑誌に賛成して好意的に二十万ポンと投げだしてくれた、という簡単明瞭な話であったが、なんとか組のなんとか氏の方は、新雑誌の社長のつもりであった。
 遠く東海道の某駅から、はるばる上京、Y氏の坐る社長の席へドッカとおさまり、社員一同を起立させて訓辞を与える。居場所を失ったY氏はウロウロしているし、社員は二人の社長の出現に呆ッ気にとられて仕事に手がつかない。
「キサマ、反抗するか!」
 と云って、それまで、実質的に編輯長のようなことをやっていた吉井という人物はひッぱたかれ、
「反抗する奴はでゝこい。若い
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