か分らない。
これに比べれば糸川の復活は木と紙とフトンとネオンサインによって忽ち出来上るカンタンなものであるから、熱海の復興は糸川から、お歴々がこう叫ぶのは筋が通っているのである。
しかし糸川が復興したころは、散在した街娼の方が熱海の名物になっているかも知れん。しかし、これらの街娼は、大火によってネグラを他にもとめただけで、一挙に個性的なボヘミヤンに進化したわけではないのだから、実質的な変化は恐らく殆ど見られまい。しかし、これを長くほッたらかしておくと、やがて街娼はボヘミヤン型に、公娼は保守農民型に、自然に性格が分れていくのも当然だ。
今度温泉都市法案とかなんとかいうものが生れて、熱海と伊東と別府、三ツの温泉都市を選び、国家の力で設備を施して、日本の代表的な遊楽中心都市に仕立てるという。これについては、住民の投票をもとめ、半数以上の賛成によって定めるのだそうだ。
温泉都市の性格は、たしかに、そのようなものでもあって、その設備は土地の人間の利害や好みだけで左右すべきものではなくて、いわば、日本人全体の好みによるべきものだ。熱海は熱海市民のものだけではなく、日本人全体のもの、遊覧客全体の所持物でもあるのだ。それが温泉都市の性格というものである。
だから、温泉都市の諸計画が、その土地の人たちの自分だけの利害や、小さな趣味で左右されるのは正しいことではない。
すくなくとも、熱海の復興は、かなり多く自分の利害をすて、遊覧客全部のもの、という奉仕精神を根本に立てることを忘れていないので、復興が完成すれば、熱海の発展はめざましいだろうと思われる。
食事は皆さんお好きなところで。閑静、コンフォタブルな部屋だけかします、というホテルがたくさんできて、中心街にうまい物屋がたくさんできれば、私は大へん助かるのだが、今度の復興計画には私の趣味まで満足させてくれるような行き届いたところはない。
しかし熱海はすでに東京の一部であり、日本の熱海であるような性格をおのずから具えつつあるのだから、もう、これぐらいの設備を考えてもいいのじゃないかなと私は思う。
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熱海のオジチャン
ヒゲたてて
糸川復興
りきんでる
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しかし、てれる必要はないのである。なぜなら、今に日本の総理大臣官邸に於ては、大臣どもが閣議をひらいて、日本の糸川の建設計画について、ケンケンガクガクせざるを得ないようになるだろうからである。
熱海のすみやかなる、又、スマートなる復興を祈る。
底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第八号」
1950(昭和25)年7月1日発行
初出:「文藝春秋 第二八巻第八号」
1950(昭和25)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:宮元淳一
2006年1月10日作成
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