のだ。最初から金目の品物に目をつけたのは、相当落着いた人間か、火事場泥棒に限られていたそうだ。
罹災者への救援はジンソクで、又至れり、つくせりであった。
私は焼跡の林屋を見舞い、それから水口園へ行って仕事しようと思ったが、原稿紙は持って出たが、洗面道具を忘れてきたので、一式買ってきてくれと女中にたのむと、すぐ戻ってきて、
「ハイ、歯ブラシ、タオル、紙……」
「いくらだい」
「イエ、タダです。エプロンをきて、ちょッと、こう、リリしい姿で行きますとね。なんでもタダでくれます。熱海の罹災者は楽ですよ。一日居ないと損すると云って、みんな動きません」
こんなわけで、私は熱海の罹災者の余沢を蒙った。
「こんなに日常品をジャン/\くれると知ったら、身の廻りの安物には目もくれず、重い家具類をだすんだった」
というのが、熱海の罹災者の感想で、新しい現実の発見でもあったようだ。つまり、戦争時代の終滅と、新しい現実の生誕を、ハッキリと、改めて発見したのだ。
しかしながら、戦争の終ったことを発見するということは、甘い現実を知ることではない。むしろアベコベに自由競争の厳しい現実を身にしみて悟ることでもあり、そこで熱海がこの焼跡から何を悟ったかというと、糸川の復興なくして熱海の復興はあり得ずということなのである。
道学先生がいくら顔をしかめてみたって、現実はどうにもならない。遊ぶ中心を失うと遊覧都市は半身不随で、熱海は現に魂のない人形だ。熱海銀座と糸川がなくなると、この町は心臓を失ってしまうのだ。
私の住む伊東では、風教上よろしくないというので、遊興街を郊外へ移しつつある。これでは話がアベコベだ。温泉地というものは中心が遊楽であるのが当然で、したがって街の中心も遊興街、温泉旅館街で構成さるべきであり、風教上よろしくないと思う人が、郊外へ退避すればよろしいのである。
だいたい伊東というところは、団体客専門の旅館ばかりで新婚旅行や、私たちのようにそこで仕事をしようという人種の落着くことができるような設備をそなえた旅館が殆どない。
熱海となると、新婚旅行や文士に適した静かな旅館も多く、それはおのずから中心を離れて、郊外に独自の環境を保っている。伊東はドンチャン騒ぎの団体旅館で構成されているくせに、風教上よろしくないというので、パンパン街を郊外へ移すというから笑わせるのである。
先日も伊東のPTAの人が私に嘆いて曰く、
「伊東に温泉博物館と図書館をつくるという案があるのですが、そういった文化施設には殆ど金をかけてくれないのですな」
これも妙な嘆きである。温泉へくる客はバカのようにノンビリと日頃の疲れを忘れようというわけで、勉強にくるわけではないから、博物館や図書館などに金を投ずるよりも、気持よく遊楽気分にひたらせる設備が大切なのだ。本を読むために温泉へ行く人もあろうが、読書家を満足させる本は図書館にはない種類のもので当人の書斎から持ってくる性質のものだ。
文化ということは温泉に博物館や図書館をつくるということではなくて、温泉は遊びにくるところだから、気分のよい遊び場としての設備をととのえるべきで、博物館や図書館などは無用の長物だということなどを知ることにあるのである。物に即してそれぞれの独自の設備が必要なのだ。
これにくらべると、熱海が自分の中心としてパンパン街をハッキリ認識したことは、正当な着眼だ。中心街の雑音がうるさかったり、風教上よろしくないと思う方が郊外へ退避すればよろしく、それが温泉都市の健全な在り方というものだ。
現に私は静かな部屋で仕事をしたいと思う時には、熱海へ行く。熱海には、中心街の雑音を遠く離れた静かな旅館がいくつもあるのだ。街の中心は局部的にいくら雑音が多くても構わない。むしろ局部的に、雑音を中心街に集中するのが当然だ。
★
私は熱海というところを、郊外の旅館で仕事のために利用してきたから、中心街を長いこと知らなかった。今年までは糸川を歩いたこともなかったのである。たまたま林屋旅館を知るようになり、どんな真夜中に、電車も旅館もなくなって叩き起しても、イヤな顔せずに歓迎してくれるから、時ならぬ時に限ってここを利用し、したがって糸川の地を踏むようになったが、その奥のパンパン街を散歩したのは、たった一度しかなかった。私はこういうところは、半生さんざん歩いてきたから、今さら新天地を開拓するような興味が起らなかったのである。
今度の巷談に、熱海復興の様相をさぐれということで、熱海復興は糸川から、と叫んでいるぐらいだから、糸川見物にでかけることにした。
糸川の女たちも、糸川が復興するとは思わず、これで熱海は当分オサラバと思ったろう。私が火事を見物している時にも、糸川の女だけがホガラカで、ハシャイ
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