腰かけたり、立ったり、あつまっている。その前に和服の着流しの男が立っていて、
「ぼくはねえ、人生の落伍者でねえ」
 パンパンと仲よくお喋りしている。三十ちかい年配らしい。学者くずれというような様子、本郷辺から毎晩ここへ散歩にきて、パンパンと話しこむのが道楽という様子である。
 趣味家がいるのだ。イノチをかけても趣味を行うという勇者も相当いるのである。世の中は広大なものだ。かかる趣味家の存在によって、上野ジャングルの動物は生活して行くことができる。
 このジャングルの住人たちは、趣味家を大事にする。お金をゆすったり、危害を加えたりしない。彼らが来てくれないと、自分の生活が成り立たなくなるからだ。新宿のアンチャンは自分のジャングルへくるお客からはぎとるが、このジャングルはクラヤミで、凄愴の気がみなぎっているが、訪う趣味家はむしろ無難だ。
 上野で危害をうけるのはアベックだそうだ。アベックはジャングルを荒すばかりで、一文のタシにもならないからだ。それにしても音に名高い上野の杜でランデブーするとは無茶な恋人同志があるものだが、常にそれが絶えないというから、やっぱり世の中は広大だ。
 上野ジャングルの夜景について、これ以上書く必要はないだろう。私が書いたのは夜景の一部にすぎないが、いくら書いても同じことだ。懐中電燈がパッと光ると、そこには必ずアレが行われているのだから。音もなく、光もなく。地上で、木の蔭で、塀際で。どこででも。
 新宿の交番は多忙で、酔っ払いをめぐる事件の応接にテンテコマイをつづける。ところが上野の交番ときては、訪う人もなく、通りかかる人もない。夜間通行禁止だからである。そして交番は全然平和でノンビリしている。
 しかし、もしも一足交番をでて懐中電燈をてらすなら、これ又、応接にイトマもない。とてもキリがないことになるから、ジャングルのシジマをソッとしておいて、より大いなる事件の突発にそなえているというわけだ。
 しかし上野ジャングルの平和さから我々は一つの教訓を知ることができる。上野ジャングルの構成までには、ヤクザの組織、ヤクザ的ボスの手が殆ど加えられていない。
 戦争の自然発生的な男女の落武者が、ジャングルに雑居してしまっただけだ。上野は異国であり、我々の生活から遠く離れたジャングルであるが、そして百鬼うごめく夜景にもかかわらず、百鬼のおのずからの自治によっ
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