とんど神様に祭りあげられていた。後につゞく自殺者の群によってではなく、地元の島民によってである。何合目かの茶店の前には、始祖御休憩の地というような大きな記念碑が立っていたのである。
 大島は地下水のないところだから、畑もなく、島民はもっぱら化け物のような芋を食い、栄養補給にはアシタッパ(又は、アスッパ)という雑草を食い、牛乳をのんでいた。アシタッパという雑草は、今日芽がでると明日は葉ッパが生じるという意味の名で、それぐらい精分が強いという。大島の牛はそれを食っているから牛乳が濃くてうまいという島民の自慢だ。
 三原山が自殺者のメッカになるまで、物産のない島民は米を食うこともできなかった。自殺者と、それをめぐる観光客の殺到によって、島民はうるおい、米も食えるし、内地なみに暮せるようになったという。
 だから彼らが始祖の女学生を神様に祭りあげるのは、ムリがない。醇乎《じゅんこ》たる感謝の一念である。おまけに、火口自殺というものは、棺桶代も、火葬の面倒もいらない。火口ではオペラグラスの賃貸料がもうかる始末で、後始末の方は全然手間賃もいらないのである。
 雲煙の彼方に三原山が見える。星うつり年かわって自殺者の新メッカとなった熱海は、コモもいるし、棺桶もいる。観音教の教祖は熱海の別荘をあらかた買占めて、はるか桃山の山上に大本殿を新築中であるが、自殺者の屍体収容無料大奉仕というようなことは、やってくれないのである。
 熱海にくらべれば、私のすむ伊東温泉などは物の数ではない。それでも時折は、こんな奥まで死ににくる人が絶えない。もっと奥へ行く人もある。風船バクダンの博士は、はるか伊豆南端まで南下し、再び北上して、天城山麓の海を見おろす松林の絶勝の地で心中していた。風船バクダン博士という肩書にもよるかも知れぬが、この心中屍体に対しては、土地の人々の取扱は鄭重《ていちょう》をきわめたそうである。一つには、地域的な関係もある。
 心中も、伊東までは全然ダメだ。誰も大切にしてくれない。伊東を越して南下して、富戸から南の海へかけて飛びこむと、実に鄭重な扱いをしてくれるそうだ。
 水屍体をあげると大漁があるという迷信のせいである。現に大漁の真ッ最中でも、屍体があがると、漁をほッたらかして、オカへ戻り鄭重に回向《えこう》して葬るそうだ。さらにより大いなる大漁を信じているからだという。富戸という漁
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