安吾巷談
天光光女史の場合
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)倅《せがれ》と

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 松谷事件は道具立が因果モノめいていて、世相のいかなるものよりも、暗く、陰惨、蒙昧、まことに救われないニュースであったが、骨子だけを考えれば、昔からありきたりの恋の苦しみの一つで、当事者の苦しみも察せられるのである。
 骨子は何かと云えば、
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一、政治意見の対立する男女が円満に結婚生活と政治生活を両立せしめうるか。
二、男には妻子がある。
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 悲しい恋の骨子というものは、何千年前から、似たようなものだ。親父同志が敵味方であるのに、その倅《せがれ》と娘が恋に落ちたという話なら、何千年前のギリシャにも、何百年前の日本にも、又、類型はいたるところに在ったことは、私が今さら例をあげるまでもない。異教徒の恋、異人種の恋、悩みに上下はない。兄妹の恋、近親の恋、いずれも世に容れられず、世の指弾と闘わなければ生きぬくことができない。
 骨子としては、そう珍しいものではないし、変ったところはないのであるが、道具立が珍妙、陰惨、蒙昧、何千年来の恋の茶番劇にも、これほど因果モノめいた脚色は先ず見ることができない。ピエロや、アルカンや、コロンビーヌや、ジャンダルムが活躍し、スガナレルやフィガロが登場しても、これほどの因果モノ的ナンセンスを生みだすことはできなかったのである。事実は小説よりも奇なりというが、これを又、一生ケンメイに報道している例えば朝日新聞の朝五時十五分脱出、墓参の記というあたり、読んでごらんなさい。
「月明りの中にポカリと黒い人影が二つ……ザクザクザクと霜柱をふみしめながら寂しい松林をすすんで……東天かすかに白み細々と立ちのぼる線香の煙……一分、二分、……五分……この朝の劇的な門出を母の墓前に報告し、その許しを乞う姿なのである……」
「機関銃はダダダ……爆弾はヅシンヅシン、アッ日の丸の感激、思わず目頭があつくなり……」
 戦争という言論ダンアツのせいで文章がヘタになったというのはウソの骨頂で、言論自由、もっとも文才華やかなるべき当節に於て、右の二つ、変るところなし。
 文章は綴り方だけではない。作者の思想が品格を決定する。右の二つの文章から、作者の思想をさがせ。
(試験問題)
 だから、新聞というものは、事実の正確な報道だけをムネとして、記者の感情や批判をミジンも出さないようにすれば、私のような三文文士にケチをつけられる筈はないのである。
 二三カ月前、読売新聞だけがこの恋愛をスクープしたとき、女史の父正一氏が狂的な怒りをあらわして、天光光は自分が育てた子供だから自分の意志の通りに行動させる。きかなければ天光光を殺して一家心中する、という大変な見幕であった。呆気にとられたのは私一人ではなかった筈だが、これとても、骨子は狂ってはいない。つまり正一氏が結婚反対の理由としてあげている骨子は、
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一、政治意見の異る二人に結婚生活は両立しない。
二、男には妻子があり、天光光のために妻子をすてた。したがって、他の女のために天光光をすてる危険がある。
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 いかにも当然な心配だ。
 この二つの事柄については大いに論議の余地があるが、娘の父たる者が、最も常識的な立場で不安を感じるのに不思議はない。
 けれども、他の道具立てが、ギリシャのファルスよりもナンセンスで、因果モノで、救いがないのである。
 私は日本中の新聞が発狂しているのではないかと考えた。これは多分に好意的な見方なのである。もしも発狂ではないとしたまえ。蒙昧。いくら負けた国の話にしても、やりきれないじゃないか。
 どの新聞も、あたり前のように、否、父正一氏の立場をむしろ是認して書いている。父が一生かかって果せなかった政治活動を娘にやらせているのだ、と。
 天光光氏は、公人として恋愛は不可能だと妙な声明書を発表したことがあったが、右の新聞の筆法だと、天光光なる娘は、私人のほかに公人として行動し、もう一つ、父の身代りとして、三重に生きているヤヤコシイ因果娘なのである。
 この国の憲法でも、二十になれば独立独歩の人格として、認められることになっている。
 そんな約束は別としても、何万人という人々によって選ばれた松谷天光光という代議士が、架空の人物で、親父の身代り、代弁者にすぎない、などという怪談を信じていいのだろうか。
 こんな事実が有ったとすれば、日本の悲劇、日本の蒙昧、きわまれり、というべきではないか。こんな因果娘を代議士にもつ国民の顔
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