がないので、ウイスキーとアドルムをのんでるうちに中毒した。このアドルムは、ヒロポンの注射と同じように、のむとすぐ利く、しかし、すぐ、さめる。一二時間でさめる。そこで一夜に何回ものむようになって、中毒するようになるのである。
 しかし、中毒するほど、のんでみると、この薬の作用が、人を中毒にさそうような要素を含んでいることが分ってくる。
 田中英光はムチャクチャで、催眠剤を、はじめから、ねむるためではなく、酒の酔いを早く利かせるために用いていた。この男の苦心は察するに余りがある。あれぐらいの大酒飲みは、いくら稼いでも飲み代に足りないから、いかにして早く酔うかという研究が人生の大事となるのである。この男は乱世の豪傑のシンボルで、どれぐらい酒を飲んだか、ということが分らないと、彼の悲痛な心事は分らないようだ。
 この男が、二年ほど前、私が熱海で仕事をしていたとき、女の子をつれて遊びに来て、三日泊って行ったことがある。
 朝、一しょにのむ。私が一睡りして目をさますと、彼は私の枕元で、まだ飲んでいる。仕方がないから、私も一風呂あびてきて、また相手をすると、酔っ払って、ねむくなる。又、ねむる。目をさますと、もう、とっぷり夜になっていて、私の枕元では、益々酒宴はタケナワとなっているのを発見するのである。仕方がないから、また相手になって、ねむたくなって、
「オイ、もう、とてもダメだから、君は君の部屋へひきあげて、のんでくれよ」
 と云うと、
「ヤ、そうですか。じゃア、ウイスキーもらって行きます。それから、奥さんに来ていただいていゝですか」
 といって、田中と女二人が行ってしまう。田中の部屋では、田中と女二人でトランプをして、その間中、田中はウイスキーとビールを呷《あお》りつゞけているのである。
 ロスアンゼルス出場のオリムピック・ボート選手、六尺、二十貫。彼は道々歩きながらウイスキーをラッパのみにするのが日常の習慣で、したがって、コップに波々とついだウイスキーを、ビールのようにガブガブのむ。
 私は胃が悪いので、小量で酔う必要があって、ウイスキーをのんでいたが、あの当時は、熱海にはウイスキーがないので、東京の酒場からウイスキーとタンサンを運んでもらっており、いつも一ダースぐらいずつストックがあった。そのストックを田中英光は三日間で完全に飲みあげてしまったのである。
 田中と飲んでいる
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