公認された代表として日本にのりこんで平和的に開国通商させ、アメリカのためにも日本のためにも歴史に名誉ある記載をのこすような仕事をしたいとの鉄石の決意を訴えるところがあった。
その決意と抱負は彼の日記にさらに生々しく読みとることができる。彼は下田へ到着する二日前からその抱負のために眠ることができないのである。そして、日本とその将来の運命について書かれる歴史に自分の良き名が記載されるように身を処したいと念じ、精神的と社会的な孤独こそ自分のなつかしいものだということをここでも繰返しているのである。
むろん商人出身だからアメリカに有利な商売をすることは彼の第一の目的ではあったが、支那の阿片戦争の如き愚をさけ、日本の運命のためにも自分の良き名を残したいというのが彼の野心であり念願であった。
しかし日本側には彼の誠意や人柄は理解されなかったので交渉は進まず、下田で一年の余ももたついた。唐人お吉が登場するのは翌年五月のことで上陸後九ヶ月目だ。
ハリスは当時胃カイヨーで重態であり、日本側に看護婦をもとめた。しかしその交渉に当った通訳のヒュースケンは同時に自分の妾をもとめ、その要求をいれないと自分に考えがあるというようなことを云って威嚇した事実はあったようだ。
そこでハリスにはお吉、ヒュースケンにはお福という妾がでることになったが、ハリスのもとめていたのは看護婦で、妾ではなかったところへ、お吉の方は妾と思いこんで荒れた気持で出かけているから、うまくいかない。お吉は三日でお払い箱になった。
お吉の写真は今も残っているが、小股のきれあがった美人である。勝気の気性が顔に現れている。下田奉行組頭黒川の記録によると彼女は当時芸者もしくは淫売だったようで、しかし相当な美人だから下田では名の売れた娘だったろう。まだ十七であった。ハリスはお吉に腫物があるというのを理由に三日で宿へ下らせた。お吉から腫物が治ったし、いったん異人館の門をくぐった以上人が相手にしないからという理由で重ねて奉公を願いでたが、ハリスは拒絶して、三ヶ月分の給料三十両を与えて手を切った。二十五両の支度金と三十両、合せて五十五両、奉行所へだしたお吉の受取りは今も残っている。三日の勤めに五十五両を払ってやったハリスも立派であったと云えよう。お吉の代りに他の女を欲しがった様子はなかったから、ハリスは女色の慾望は少なかった人の
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