ない。
 むしろシラギがコマを亡した直後に続々来朝移住したのはシラギ人だが、勝った方が堂々と来朝移住し、負けた方がコソコソ遁入して隠遁定着するのも自然の数で、正史が亡命者の方を大ッピラに記載できないような意味もあったろう。そして関東一円にもシラギの移住は甚しく多かった。一まとめに何千人というのはないが少数ずつ次々とあって、コマの移住者の比ではないようだ。
 ただ大宝三年四月の条に、
「従五位下高麗若光に王《コキシ》姓を与えた」
 とあって、大宝三年というとコマ亡びて三十五年後だが、シラギ人の賑やかな来朝移住時代にコマ人が王姓をもらい、これがコマ家の祖先と云われている。コマ村のコマ神社の宮司コマ家に伝わる系図によると、武蔵の国現入間郡コマ村のコマ人はここに移り集って若光に統率されていたもので、その子孫がコマ神社宮司家であることになっているのだ。
 この系図は中世にいったん焼け、そこで一族全員の記録を集めて新しく造ったものであるが、その書き出しは虫がくってチョン切れておって、
「これによってつき従ってきた貴賤相集り、屍体を城外にうめ、また神国の例によって、御殿の後山に霊廟をたて、コマ明神と
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