。面従腹背のトモガラがひそかに忠誠を誓った神を迎える逆上ぶりなのである。要するにこのトモガラは面従腹背を一生の定めとしていることを現しているようなものさ。このトモガラは忠誠を誓った神の名を一生にタダ一度云うだけで、あとは生涯貝のようにフタをとじて語らない。一生に一度だけ本当の神の名を告白するというわけは、その告白が罪にならなくて、公然と許されており、またそうすることが英雄的行動の誇示にもかのうからである。宝塚難民の逆上混乱、颱風的様相というものは、その数年後に貝ガラのフタを堅くとじて一生自分の神の名を、また本当のことを語らなくなる冷静きわまる人物の本性を証しており、後日の深謀遠慮に比べれば、実にウカツにまたフシギにもシッポをだしたものであるが、つまりこの冷静きわまる人物が罪の意識を失って世を怖れなくなる時には何事をやるか分らない。原子バクダンを自分のキライな奴の頭の上でドカンと一発やることについて、その本性に於ては人をはばかり世をはばかるところはない。彼女自体がネジによって辛うじて自然のバクハツをくいとめている原子バクダンそのものに外ならぬのである。この彼女を宝塚の難民とも云うし、単に
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